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ライブラリ論つづき:楽ちんは正義

先週いくつかコメントをいただきまして。いろいろ伝わりきれてないというか説明が足りないところがありそうなので、コメントの質問に回答しつつ少し補足してみます。

> プログラムコンテンストを否定のような文脈を感じましたが、

いえいえ、そんなことはないですよ。「否定」するつもりは毛頭ないです。ただ個人の好みの問題で、「私は興味ない」というだけです。開発者の中にプログラミングコンテスト好きな人がいるというのも知ってますし、それについてどうこう言うつもりはないです。

ただ一つはっきりさせておきたいのは、「将棋の大会にプログラミングコンテストの流儀を持ち込まないでほしい」という、その一点だけです。ライブラリ使用制限というのは、将棋の大会という観点 ~盤上の強さのみを競う、という観点~ からは決して出てこないものです。「将棋の強さでなく、プログラミング能力を競いたい」という考えから出てくるものでしょう。しかし、WCSCが「将棋の大会」であるなら、将棋のルール以外のものを大会ルールに取り入れるべきではないです。

CSA理事会が「WCSCポリシー」なるものを定めています。曰く、

 0)WCSCは(snip)最強のコンピュータ将棋を決めるためのものである。

つまり、WCSCは「将棋の大会」である、プログラミングの大会ではない、と言ってるわけです。であるならば、大会ルールは将棋のそれであるべきで、将棋に関係ない余計な要素(ライブラリがどうとか)を取り入れるべきではありません。変なルールを入れてしまうと、「待ち駒禁止将棋の大会」とか「居飛穴禁止将棋の大会」とかと同じで、将棋でなくなってしまいます。将棋の大会ならば「盤上の強さのみを競う、その範囲で何でもあり」であるべきです。

もちろん、参加者の多数が望み、大会主催者(CSA理事会)も同意するというなら、WCSCを「プログラミングの大会」として定義しなおすことは可能でしょう。それならそれで、別に問題はありません(私は興味ないので出ないでしょうが)。ただその場合は、まず上記のWCSC「ポリシー」は変えるべきです。「WCSCは、将棋を題材としてプログラミング能力を競う大会である」とか何とか。また、将棋の大会でない以上、優勝ソフトに「最強の将棋ソフト」を名乗る資格はありません。

ただ、そういう「将棋か、プログラミングか」の二択でなく、両方同時にできないもんかねえ?というのが先週の提案でした。

> ライブラリ使用でオリジナルのエンジンに勝ったとして、それで楽しいでしょうか?

私はもちろん楽しいからやってるわけなんですが。この問いに答えるには「アイデア」と「実装」の区別が必要と思いますので、ちょっとそこをつっこんでみましょう。

ライブラリ制限というのは、「実装」をすべて自前でやるべき、という主張なわけですが、よく考えると「アイデア」の独自性に関しては何も言っていません。たとえばボナンザのアイデアを全部そのままパクって自分でコーディングしたら、それはライブラリルール上は自作扱いになって制限にはひっかりません。ですが、私から質問:そういうもの作って、それで楽しいですか?

私は昨年bonasseを公開しましたが、あれは9割方はボナンザのソースそのままです。1割程度は独自のアイデアが入っている。独自アイデアの部分は当然実装も独自です。さて、次の2つを比べたとき、どちらが価値があるか?やってて楽しいか?です。

                       新規アイデア比率   新規実装比率  (パクリ実装比率)
A)ボナのアイデアをパクって   0       100%       0%
 自分で実装

B)bonasse                     10%            10%             90%

私は、圧倒的にBが楽しいです。Aはまったく魅力を感じない。実装よりも、アイデアの方を重視します。

Aのソースが公開されても、私はおそらく見もしないでしょう。一方bonasseの方は、現実に多くの人がDLして研究しています。9割はコピーなんだけれども、1割の独自の部分をみなさん知りたがるわけです。

以上のような現実がある中で、今のライブラリルールはA)を推奨し、B)には不利な条件を強いる。これってどうなんでしょうかねぇ。

言っておきますが、私はA)が悪いと言ってるわけではないですよ。A)で大会出てきていただいてもちろん全然かまいません。ただ、A)がOKでB)がNGってのは、それはどう考えてもおかしいんじゃないの?と言いたいだけです。

既存のアイデアを実装するなら、ライブラリをそのまま使う方が、自前で作るより当然工数は少なくて済みます。ということは、そのぶんの時間を、独自アイデアを伸ばすことに使えるわけです。つまり、独自アイデアの出現を期待したいなら(みなさんここは同意するものと信じてますが)、ライブラリの使用は制約を課すどころかむしろ推奨すべきです。「流用は悪くない」ではなく、「流用すること*こそ*が正しい」、なのです。その意味で、今の分家制限の制度は、技術の発展を阻害している、本来クリエイティブな開発に充てられるべき貴重なリソースを無駄な作業に浪費させている、有害な制度である、と考えています。

ところでまさか、「アイデアも100%独自であるべきだ」などという人はいませんよね。そんなこと言い出したら大会出場資格者は1人もいないでしょう。あのボナンザですら、評価関数はもちろんオリジナルアイデアですが、探索の大部分はアイデア的にはCraftyをベースにしています。過去のアイデアを9割方流用しつつ、1割の独自アイデアを加えて改良する。そうするとまた別の人がそれに更にちょこっとの改良を加える、…というふうにして発展していくのが、科学技術の発展のあるべき姿です。「流用がいけない、すべきでない」という発想は、根本的な部分で考え方を間違っていると思います。もちろん、使用許諾条件を守る範囲で、の話ですが。

> 強ければなんでもいいのであれば、

> 究極の目的が「神の一手に近づく」ことなら

これも、どっちが正しい、ではなく個人の価値観の問題でしょう。強ければなんでもいいという人もいるだろうし、いや強さよりも、自分なりに納得できるものを作りたいんだ、だから自作するんだ、という人もいるでしょう。どっちもありだと思います。

ただ、強さ最優先で作った人と、強さ以外の何かを最優先で作った人がいるとしましょう。で対局して、強さ最優先の方が勝つ。(ある意味当たり前という気がしますが。)それに対して「これはおかしい。強さ最優先のチームは決勝進出数制限しろ」というのは…いや、それはどうなんでしょうか?「強さ以外を優先」という時点で、ある意味強さは捨ててるわけですよね。自分でそう選択したわけです。それで文句言うのはおかしいと思いますが。

くどいようですが、「強さ以外を優先」が悪いというつもりはないですよ。個人の自由です。ただ、自分でそう選択したのだから、その選択に責任を持つべきではないですか、その選択が引き起こした結果を受け入れるべきではないですか、というだけです。

使おうと思えば、誰でもライブラリは使える。使うも使わないも自由。その意味で公平です。公平であるかぎり、ライブラリ使用が「競技性」を損なうことはありません。

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将棋プロセサ」カテゴリの記事

コメント

この意見はクール(=かっこいい)ですね!
なのはは強さ以外の何かを追求していますが(苦笑)、論理的にはこの意見に賛同します。
ただ、感情的には微妙ですね。
実際、思考部分に対してアイデア0%なので、せめて実装だけでも自力で、とかこんだけ苦労したんだから一次は通過したい(労力に応じた成果が欲しい)とか、負のオリジナリティは恥ずかしい(劣化Bonanza)とか、いろんな感情がありまして(苦笑)。
まぁ、ある種の逃げですが、現実を直視するのも辛い訳で、なんらかのよりどころが欲しい。
それが、(アイデアはパクリでも)実装をがんばった、とか詰ルーチンだけは高性能とか、…。
何年もやっててオリジナリティがないとか突っ込まれても仕事じゃないんだし好きにやらせてよ(という選択も自由だけど上には行き難い)…って完全愚痴モードです。
結局、既存のものの上にオリジナリティを付加するのが困難なんで、「実装は自分でがんばりました」というのをもって、思考部の独自性を主張するしか出来ません。
そんな感じで。。。

ぱっと見の感想ですが、勝敗を気にしすぎなのではないでしょうか?もう少し自由に考えていいのでは。

私も1次予選落ちを2回食らってますが、負けてもあまり気にせずやってました。送りバントさんもそんなふうに書いてましたね。FPGAの時も、たまたまうまくいって2次予選中位までいきましたが、最初は順位なんて気にせず「FPGAで将棋動いたら超面白いんじゃね!?」というノリだけでやってましたし。それこそ仕事じゃないんだから、自分の楽しさ優先で好きなことやってればよいのでは。負けようが1次予選落ちしようが、いいじゃないですか(経験者は語る)。

詰めルーチンの工夫も立派なオリジナリティですよ。萌えもですしw 負のオリジナリティは…まあ現実はそんなもんでしょう。私もボナの改良「案」をいくつも考えましたが、実際に試すと95%以上は強くならず、何割かはむしろ劣化します。それが実態。「強くならないとダメ」とか言い出すと、実際問題かなりハードル高いと思います。なので私は、劣化ボナでも精いっぱい努力した結果であればいいんじゃないかと思ってますけど。

また、記事でも書きましたが、「アイデアパクリ、実装独自」も全然問題ないですよ。というかここは2年前も議論して、「独自アイデアってそう簡単じゃないよね」という話になり、それ故に参加資格が「オリジナリティ(=独自アイデア)があること」から「十分な工夫を施したこと(=実装OK)」に変わった、と記憶してます。ただ、今のルールは「独自実装」だけが本来の趣旨から離れて一人歩きしていて、「独自アイデアがあっても実装が100%独自じゃないとダメ」となってるのはおかしいだろ、というのが今回私が主張している点です。

あと、(別にかずさんに向けて言うのではないですが)「XXXは強いから予選通過させるな」というようなことを口に出すのはやめといた方がいいんじゃないかと思います。率直に言って、はたから見ててあまりかっこいいものではない。人情としてそう思うのはある意味自然ですのでしかたないですが、思ってもそれは表に出さず心の中に押しとどめる。盤上の結果は絶対で、何があろうと受け入れる。というのが将棋指しとしての基本のマナー・モラルだろう、と私は思っているのですが。嫉妬、愚痴、そりゃ人間ですからあります。でも盤の前で言っちゃだめ。と私は子供の頃親父にしつけられたんですが。

#もっとも、2年前のライブラリ議論あたりから、「もしかしてコン将開発
#者って、こういう『将棋指しとして当然のマナー・モラル』が常識として
#通用しないの!?」という不安をそこはかとなく抱いてますが…なんか
#もう当たり前のようにみんな破ってるのを見ると正直カルチャーショックで
#した。リアルで将棋指す人ばっかじゃないのかな?


勝敗にこだわっていますかねぇ??
内容の良し悪しがわからないので、結果で判断しているという面はあります。
あとシードになれば、一泊少なくてすむので懐具合に効いてくるというのもありますw

リアルで将棋を指す人は、そんなに少なくはないと思うのですが…。<私ですらリアルで指す位だし。

> 「XXXは強いから予選通過させるな」
に関しては、私はむしろ、「XXXは強いが、予選通過をするのは俺のプログラムが止めてやる!」とか思いますがw

将棋指しとしてのマナー以前の問題、人間としてのマナーの問題を感じることは私もありますね。
いつだったかの選手権で、開会の際の挨拶で将棋連盟の方が話をされているのに、大部分がそちらを見ていない&何か話してる…とかいう状態があった様な記憶があります…。

それってどうなのよ…(泣)。

白砂さんがブログでぼやいてたやつですかね。あのブログにはワロてましたw おまいら、話聞けよ!

> 白砂さんがブログでぼやいてたやつですかね。

確認してみたところ、どうもそれっぽいです。

http://www.hakusa.net/shogi/computer/wcsc18_1.html

最後の木更津の選手権だったと思いますので。

もっとも、私が中川7段の話をちゃんと聞いていたかというと…

実は、PCが立ち上がって来ない状態になっていて…静かにはしていたけれど、話は聞いていなかったというオチが…。


白砂さんの名言(迷言?)
『会場のおまいら、うるさすぎだ』
『中川7段の空手技がいつ爆発するかと(爆)』
には、私も笑わせて頂きました。

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