電王戦 ザ・ダークサイド
これからしばらくの間、第1・2回電王戦のことをこのブログで書いていきます。
電王戦に関しては書籍もいくつか出ていますが、それら書籍で電王戦の全体像が見えてくるかというと、そうではないなと私は思っています。「我敗れたり」 「電王戦のすべて」はプロ棋士サイドからの見解がほとんどで、コンピュータ将棋開発側の情報は非常に少ない。「ドキュメント電王戦」はその面ではいちばん よくできていますが、やはり紙面が限られているので、1人あたり10ページ程度のインタビューでは本当に要約程度のことしか書けない。「神は細部に宿る」 という言葉がありますが、やはり細部まで見ていかないと真の姿はわからないと思います。
私のブログも、全てを書いてきたわけではありません。開発中はそもそも忙しくて十分書く時間がとれなかったし、また当事者である間は各方面に配慮が必要だったりして、書けないこともけっこうあったわけです。ですが今は電王戦も(「真剣勝負」としては)ほぼ決着がついて一段落したし、私もコンピュータ将棋の最前線の開発からは引退して当事者ではなくなったため、自由に書けるようになった、という事情もあります。
たとえば昨年2012年1月14日の第1回電王戦当日。なぜ私は朝の準備に遅れたのか?何をやっていたのか?対局後、記者会見までかなりの時間がかかったのはなぜか?会見で突然「5対5」形式への変更が発表されたのはどんな経緯だったのか?こうしたことは今まで表には書かれず、ほんの数人だけしか知る人はいません。米長さんも去ってしまい、私が書かないと誰にも知られないまま闇に埋もれてしまいそうなので、私が忘れないうちに書き留めておこう、というわけです。
本当はもっと早く書きはじめるつもりでしたが、事情があって今まで書くのを控えていました。その辺の事情についてもおいおい書いていきます。
近いうちにコンピュータ囲碁もプロ棋士に近づき、真剣勝負のフェーズに入るでしょう。そうなったとき、「将棋で何が起こったか、どういう経緯を辿ったか」の情報は、開発者と棋士の双方にとって多少は参考になるのではないかなと思います。
* * *
まずは電王戦の話が来たあたりのことから。
電王戦の話が最初に私のところに来たのは、2011年9月5日、私の勤務先であるF社のK常務からのメールでした。F社はこの少し前に理化学研究所と共同で棋士の脳の研究をしたり、また達人戦のスポンサーでもあるなど、いくつか将棋連盟と関わっています。(最近達人戦は規模縮小したみたいですが。)K常務はF社将棋部長でもあり、F社の将棋関連活動は大体この人が関わっていると思って間違いない、という人です。ちょうどこの頃は、北陸先端大学の飯田さんのところにF社が寄付講座を作り、そこの特任教授に米長さんを招くという話が進んでいました。その話の最中に米長さん側から「ボンクラーズと対局したい」という依頼があったそうです。
一応この頃の「時代背景」を復習しておくと、まず前年2010年にコンピュータソフト「あから」と清水市代女流 王将(当時)が対局し、ソフトが勝っています。すると当然、次は男性プロがやらないと、という話が出まして、その中で米長さんが「俺がやる」という話を中央公論その他で公言していた、という状況でした。一方私は2011年5月の世界コンピュータ将棋選手権(以下WCSCと略記)でボンクラーズが優勝しており、この時点でコンピュータ将棋世界チャンピオンでした。
なので私のところに対局依頼が来るのは当然とも言えますが、このころは「ソフトは激指になるらしい」という噂が流れていまして、私も「そうなのかな」と思っていました。私は今でこそ有名人でいることに慣れましたがw 当時はWCSCで 初優勝して注目を浴びはじめたばかりで、自分がイベントに出るなんてとても現実として考えることができないでいました。なので「激指の方が有名だし当然だろうな」くらいに思っていました。
でK常務から話が来たときも、光栄だなとは思いつつ、具体的にどんな話になるのかまったく想像がつかなかったので、詳しく教えてほしいということで直接話を聞きに9/7にK常務のオフィス(蒲田)へ行きました。
話を聞くと、米長さん側としてはボンクラーズとやるか激指とやるかどちらにしようか考えている。ボンクラーズとやりたいとなったら受けてくれるか、という話でした。NOなら激指とやるのでかまわない、とのこと。なぜ激指が候補だったのかはっきりはわかりませんが、マイコミ(激指の販売元、現マイナビ)がスポンサーになる可能性があったのかもしれないし、あるいは米長さんが激指を持っていて慣れていたからかもしれません。
私としては願ってもないことだったので「是非やりたいです」と答えました。なぜかK常務は「今回は激指にやってもらって、次にしてはどうか」と言ってきました。どうやら、私の会社 の業務に支障が出るとまずい、と考えられたようです。ですが私としては、今回を逃すと次回は自分にまわってくるかわからない(次回WCSCで負けるとその優勝者に取られる)と思ったので、今回やりたい、と言ったところ、「じゃあそう米長さんに伝えてみるよ」ということになりました。
で、やるとしたら米長さんが事前に練習できるようにしてほしいとのことで、それにはどうするか、も議論してました。1台でよければ自宅にPC用意できます、クラスタが必要ならどうしよう、サーバ立ててネット経由でやってもらうか?等々。まあこれは米長さんと相談しましょう、ということに。
あとこの時、「F社で将棋の研究が(業務として)できないか」という話も少ししたのですが、この話はまた別途書きます。
9/9 にK常務からメールで「米長さんと話した。やはり彼はボンクラーズとの対戦を望んでいる」とのこと。日時もこの時点で2012/1/14と決まって(むこうから指定)いました。マイコミが機嫌損ねたりとかはないのか?も9/7に多少懸念してましたが、そこも問題ないとのこと。これでほぼ対局決定です。
こ の時まで、私のコンピュータ将棋開発はまったく個人の趣味で、会社の業務とは関係ありませんでした。ですが今回は常務から話が来たというのもあり、業務と してできるようにしたいと思いました。私のようにサラリーマンで将棋ソフトを開発している人間にとって、いちばん苦労するのは時間の確保です。平日昼間はできないので、週末か平日帰った後しかできない。でも平日夜は仕事で疲れているし、週末は用事が入ったりしてなかなか集中して開発できない。それで平日昼間もできるよう、常務に頼んで私の上司に「こういうわけで、伊藤が勤務中に将棋関連の開発をすることを一部認めてほしい」とメールを書いてもらいました。 こういうとき常務の肩書きは絶大な威力を発揮しますw あっさりOKが出まして、晴れて仕事中も将棋ができるようになりました。といってもこの時点ではまだフルタイムではなく、メインの業務(マーケティング)の傍ら将棋*も*やる、という位置づけです。
このあたりの私のツイッター履歴:
9/5 先週から意外な展開が続いてる。水曜また打ち合わせ。さてどうなるのやら??
9/7 蒲田で打ち合わせ。うーよくわからん。まだちゃんと決まってないということだけはわかった。まあこっちにできることを粛々とやってくしかないなー。たぶんX社次第なんだよな。でAとBとどっち重視するかという。ま、こっちで考えててもしょうないし…
9/9 怒涛の展開キター! こうなるのかしかし。想定の範囲外。いやこっちとしては代官芸の方向なのでいいんですが。
もうしゃべりたくてうずうずしてたんですがw さすがにしゃべれないので、自分にはわかる、他人にはわからないようにしてます。
コ ンピュータ将棋の開発は、5月のWCSCが区切りになります。5月までにあるバージョンを開発し、5月の選手権が終わると来年5月に向けて次のバージョンの開発を始める、というパターンです。このときの私も11年5月版は開発終了し、次の12年5月向けのバージョンを開発中でしたが、電王戦が入ったため急遽12年1月に何とか次バージョン開発を間に合わせようと目標を変えることになりました。それと並行して、電王戦に向けてソフト開発以外にもいろいろとやっておかなければならないことがあり、それらをひとつづつ片付けていくことになります。
次バージョン開発をやりつつ、9月の間は米長さんの練習用環境をどうするかのやりとりをいろいろやっていました。次回はこの辺の話を書きます。(つづく)
暇を見つけて書いていくので、更新間隔どうなるのか正直わからないですが、まあ無理せず書いていこうと思っております。
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ボンクラーズ、Puella αの開発者の伊藤さんのブログ
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で、第1回・第2回電王戦の裏話の連載が始まっています。ダークサイドだからかブログのデザインも怪しくなっていますが、内容は貴重な歴史的証言で非常に興味深く、異常に面白い。
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伊藤さん、おひさしぶりです。
その後どうされたのかなと気にはしていました。
そうですか、ようやく書いていただけますか。
楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。
できれば電王トーナメントについても何かコメントしてもらえるとうれしいのですけれど。
できる範囲でけっこうですよ。
投稿: サムライ | 2013年11月30日 (土) 10時42分
ありがとうございます。この連載では、皆さんがきっと食いついてくるようなネタをいくつかご用意しておりますので、期待していてください!
電王トーナメントですか。まあ参加者は大体知り合いなので私も興味はあり、結果は見させていただきました。ただクラスタ禁止というのと、GPS・激指・NDFあたりの大物が軒並み不参加で、ちょっと興ざめだったのは否めないですね。
投稿: 伊藤 | 2013年11月30日 (土) 19時45分
まぁ、結局のところコンピューターチェスと同じ感じで、マスコミや大衆に向けてコンピューターの方が強いと刷り込む事自体が目的だろうな
IBMのあれはかぎりなく真っ黒だったが、今回のもどうなのか怪しいもんだ
「もはやCPにはトッププロも歯が立たない」とか、したり顔で言っていれば大半の人間は分からないだろうし
そもそも一回勝った、負けたで強い弱いと決めるもんじゃないだろ
投稿: | 2014年3月30日 (日) 07時18分