練習環境の提供
対局が決まった後は、会社に米長さんから直接電話がかかってくるようになりました。私が所属していた「海外マーケティング部」の代表番号にかかってきて取り次いでもらうのですが、「将棋の米長ですけど」と名乗られて、みんな最初は何の事だかわからなかったそうです^^;
事前に練習したいのでできるようにしてほしい、と。後になってこの辺いろいろ議論の対象になるわけですが、この頃は私も深く考えてなくて、「まあ事前に指してみたいと思うのは当然だろうな」とは思ったので、了承しました。
いろいろ検討したんですが、結局クラスタを使ってもらうのはやはり難易度が高いということでやめて、1台のPCで動かす、そのPCを米長さん宅に置く、という方針になりました。「予算は気にしなくていいから、いちばん強くなるようにしてくれ」とのこと。米長さん自身は、ユーザとして普通にWindowsを使うことはできましたが、機種選んだりインストールしたりは難しいので、久米さんがそこを担当するから彼と相談して決めて、と言われました。そう、あの将棋倶楽部24席主の久米さんです。彼は将棋連盟の特別顧問という立場で、24運営の傍ら、連盟にコンピュータ関連のアドバイスをしたりしていたそうです。
この時久米さんとのチャネルを持ったことが後にbonkrasの24参加へつながっていくのですが、その話はまた後で別途詳しく書きます。
PC選びは久米さんがやってくれて、ドスパラさんのデスクトップの最高級に近い機種になりました。CPUは990X(6コア、3.46GHz)。当時のメールを見ると、久米さんは「予算40万」と言われてたそうです。デスクトップ1台としてはかなり豪華。この辺は以前にもブログ記事を書いてるのでご参照ください。
このマシンにLinuxをインストールし、ボンクラーズとあとshogi-serverという対局サーバソフトを動かす。もう1台のWindowsマシンにK-Shogi(GUI付き将棋対局フリーソフト)をインストールして、ここからshogi-serverに接続してGUIでボンクラーズと対局する、という環境です。
技術的な話は上記ブログ記事にけっこう書きましたので割愛。ただ1点だけ付け加えておくと、このとき渡したボンクラーズは、電王戦で対局したものそのものではありません。まず、ソフトは少しずつ改良していくものなので、10月時点のソフトと翌年1月のものとは当然異なる。このことは元々米長さんにも話し、了解を得ていました。更に、「あまり深く考えてなかった」とは書きましたが、第2回の阿部-習甦戦のように、穴をつかれて再現されるのは勘弁、とは考えていました。当時の考えとしては、プロ棋士なら意地でもそんなことはしないのではないかな、と推測してはいたのですが、万一ということもあるのでいちおう対策を講じることにしました。つまり、1月の本番の対局時と、今渡すPCとで、指し手が全く同じにはならないようにしよう、と。といってもそのためだけにまったく別バージョンを用意したりする手間もかけられなかったので、比較的簡単に指し手が変わる、だけど全体として強さや棋風はほぼ同じに保つ、ということで、次の3つをやりました。
1)入玉処理は削除。11年5月版には入玉対策は全く入っていませんでしたが、その後多少の対策を入れ、いちおうプログラムはできて動いてはいました。これはプログラム的には小さい変更で、プログラムの他の部分への影響も最小限で「安全」に削除できる機能だったというのと、当時これが最新の変更だったので、そもそも変更前のプログラムがそのまま残っていたというのもあり、まずここを修正。
2)評価関数を入れ替え。ボンクラーズはボナンザをベースにしていますが、ボナンザにもいくつかバージョンがあります。評価関数のパラメタはfv.binというファイルに入っているのですが、このファイルがボナンザのバージョン4とバージョン6では、ファイル形式は同じなんですが値が異なるという情報がありました。そこで、ボンクラーズは当時はバージョン6のfv.binを使っていたのですが、今回提供版はバージョン4のものにしました。この辺記録が残ってないのですが、たしか自己対戦結果からすると強さ的にも棋風的にもあまり変わらなかったはずです。ただ目的は「同じ手の再現を避ける」だったので、このくらいの変更が妥当かなと思いました。
3)コンパイラの変更。本番バージョンはインテル製のコンパイラ(icc)を使うのですが、提供版はgccというフリーのコンパイラを使いました。あ、コンパイラって通じないかな。プログラムはプログラム言語という人間に読める形で書くのですが、これをPCが実行できるデジタルデータに変換する別のプログラムがあり、これをコンパイラと言います。で、コンパイラによって、プログラムの実行速度が変わります。ボンクラーズの場合、当時のiccとgccとで前者の方が2、3割速くなります。速いとそれだけ将棋では手が深く読めますので、若干強くなります。まあレーティングだとせいぜい30くらいですが。これは意図的に変えたというよりは、iccのライセンス上の制限で提供版に使ってよいか自信がなかったという理由の方が大きいのですが、何にせよ「指し手を変える」ことにはつながったはずです。
あとこの他に当然、本番はクラスタだけど提供版は1台、というのもあります。ソフトの差ではありませんが。
そういうわけで「穴をつかれる」ことはないようにそこそこ対策はしてあったんですが、「ドキュメント電王戦」によると習甦の竹内さんは「ボンクラーズの時に貸し出していたので、貸すのが当然と思っていた」んだそうで。彼は、ボンクラーズもそうしたと思って、まったく同じものを貸したのでしょうかね。それがあの敗戦につながったのなら、いやー申し訳なかったな、と…
11年の10/4に米長宅へ行ってセットアップしました。「鷺宮定跡」のWikipediaにあるとおり、中野区鷺宮にあります。久米さんが調達したPC等が箱のまま家に積んであるので、それを開梱してセットアップ。午前からはじめ、途中昼食は鷺宮駅周辺のインドカレー屋。夕方までかかり、夜はやはり駅周辺の居酒屋へ。居酒屋ではいろんな話をうかがいました。同席してたのはたしか、米長企画(米長さん関連のイベント等をとりしきっていた組織。といっても実質1人みたいでしたが)の人と、連盟職員さんもいたように記憶してます。このときの話は今でもいろいろ印象に残ってまして、次回はこれについて書きます。
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今まで表にされることのない裏事情を知ることができました。貴重な記事をありがとうございます。
確かに、連盟のソフトに対する認識が甘かったところがあったんじゃないかなと私も思いました。もう少し事前に調べておく必要はあったのではないかなと。
私もそれなりにはコンピュータ将棋に精通していると思っていて、アマチュアで将棋も指していますが一点だけ、これは私の意見になりますが阿部習甦戦は 「穴を突いた」というのとは違うのではないかなと思います。と言いますのは、あれは阿部先生の得意としている形であり、対習甦用にそれこそGPS将棋に挑戦企画で現れたような香得定跡のようなものとは違うということです。
ふつうに指して、その結果習甦が間違えたということであり、穴というよりは単純にそこまで習甦が読めなかっただけのように思えました。
ソフトは非常に強いですけれども、ごくごく稀に疑問手を指すことはあります。
私には阿部先生が特別なことをしたという感じには思えませんでした。普段からあのような戦型を指されているのですから。
ほかのどんな局面でも、習甦が間違える可能性は十分にあったのではないでしょうか。あの将棋が特別なのではなくて。
投稿: YO | 2013年12月20日 (金) 01時17分