2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

tweet

  • tweets

« 企画書後半 ~ 2011年7月時点の認識 | トップページ | 各種データ採取 »

異端のアプローチ

企画書の内容と背景について、いくつか補足・コメントしておきます。

コンピュータ将棋開発者には大学の研究者、学生、フリーランスプログラマ、企業の研究者など様々な人がいますが、選手権の決勝レベルを見ると、総じて研究者が多い世界です。私のようにエンジニアとして実務経験が長い人は他にあまりいませんし、マーケティングの経験者も皆無に近いでしょう。このためか、私の物の考え方は他の開発者と比べてかなり毛色が異なっていました。この企画書で言うと次の2点が、コンピュータ将棋開発者の中でかなり独自というか、おそらく他に誰も考えてなかった視点だったと思います。

1)明確なゴールを設定し、そこへ到達するためのコストとスケジュールを意識している
2)名人挑戦を実現するビジネス的条件として棋力アピールと対局料の問題を考慮している

まず1)ですが、エンジニアとしては「ゴールを設定し、コストとスケジュールを考える」のは当たり前のことですが、研究者というのは必ずしもそうではありません。研究というのは基本的に、何がうまくいくのかわからない、いろいろやってみて、ほとんどはうまくいかないけれど、たまに何かがうまくいくとその先に今まで見えてなかったものが見えてきてそちらを追求する、という感じのことが多いです。もちろん大まかな計画は最初に立てますが、想定した計画通りに進むことはまずありません。つまり、スケジュールをあまり綿密に立ててもどうせそうはならないし、コスト/工数も事前に予測がなかなかつかない。ゴールすら、当初の想定とは違うところに行き着くことも多い。

コンピュータ将棋でもそういう面がかなりあります。棋力を上げるという目標は決まっていますが、そのために手段はいろいろ考えられる。評価関数の機械学習がいいのか、クラスタ並列がいいのか、探索の深さ制御が有効なのか。思いつくもの・自分にできるものを片っ端から試し、うまくいった技術を採用、とするしかない面があります。もちろん目標として「いずれは名人に勝つ」は多くの開発者が意識していたでしょうが、手法としてはボトムアップ的で、いろいろやっていくうちに棋力が上がっていくだろう、その結果としてそのうち名人に追いつけるんじゃないか、いつになるかはなんとも言えないけど、という考え方が多かったと思います。

これに対して私は、まずゴールを決めます。名人に勝つこと。そのゴールまであとどのくらいなのかを定量化します。棋士レーティングで400強の差。そしてそのゴールに到達するために、いちばん速く、少ない工数で実現する手段は何か?と考えたとき、それはクラスタ並列だろう、というのが私の結論でした。この当時は、コンピュータ将棋開発者の間ではBonanzaソース公開の余韻がまだかなり残っており、ほとんどの開発者が機械学習に注目していた時で、その中で私のこの方針はかなり異端でした。

棋力を上げるには、クラスタ並列の他にも、評価関数だとか探索の深さ制御だとかいくつか考えられるのですが、いずれも、何をどうすれば強くなるのかが具体的にはわかっていない。答えのない世界で膨大な試行錯誤を必要とするわけです。これはスケジュールも読めないし、工数(コスト)もどれだけ膨らむかわからない。クラスタ並列の場合は、何台並べるとどれだけ強くなる(レーティングが上がる)のかがある程度わかっています。確実な知識ではないにせよ、少なくとも評価関数等と比べるとずっと信頼できる知見がありました。クラスタ並列の技術自体も、ボンクラーズである程度の基礎はできていたので、道筋はついている状態でした。

これらのことから判断して、名人越えを実現するにはクラスタ並列がいちばん安全かつ簡単なアプローチだろう、と考えたわけです。「安い、速い、うまい」勝ち方、ということです。

こういう考え方がまた、一部の人には不評だったりします。人はえてして、「かっこいい」手法が魅力的だと思いがちです。クラスタ並列というのはいかにも「頭はよくないけど、力で押し切る」みたいなイメージで取られることが多い。それよりも「知恵をしぼりにしぼって、機械学習でなんかうまいことやりました」という方が「スマート」そうで研究としてはランクが上っぽく見る、という人もけっこういるわけです。

ですがエンジニアはかっこよさなんてまったく気にしなくて、とにかく結果が出れば/目的を達成できればそれでよい。難しいことやる必要はなくて、簡単なやり方で同じことができるならそれに越したことはない。いやクラスタ並列だって簡単てわけじゃなくてそれなりに難しいのですが、まあ比較するならば、です。

また別の観点では、将棋文化がどうたらみたいな話、「数百年の将棋研究の歴史を愚弄するものだ」なんて批判も出てきそうですね。これもエンジニア的には重要視されないので、ソフト対プロ棋士ははじめから「異種格闘技戦」であった、と言えるのでしょう。

というわけで、「他の技術(機械学習等)は一切必要なし、クラスタ並列一択」というのは、エンジニア的なドライな、合理的な判断の結果だった、と言ってよいかと思います。

もうひとつ書いておくと、クラスタ並列以外の向上策では企画書に定量的な棋力向上の根拠が書けない、というのもありました。仮に機械学習をやるとしても、何をどうすれば強くなるのか、いつ、どれだけレーティングが上がるのか、何もわからない。企画書に「いつ、どれだけ効果が出るかわかりませんが、とにかく機械学習で強くして名人を超えます!」などと書いていたら、H取締役から「何寝言言ってんだ、バカかこいつは」くらいに思われ、マシン貸してもらえなかったかもしれません。

機械学習を応用した評価関数がどの程度棋力向上に寄与しているのか、正確に計測した実験結果はないと思いますが、私の感触としては、手動できちんとチューンされた評価関数に比べてレーティングで200-300程度の向上ではないかと推測しています。ひとつの技術で300上がる技術はそうそうないはずですが(null move pruning, futility pruningくらい?)、100-200程度上がる技術はけっこうあります。私がやった例で言うと、2010年にBonanza v4に対して評価の差分計算とbitboardのSSE化によって高速化しましたが、これで100-120ほど上がっています。4台のクラスタ並列で120-150程度です。コンピュータチェスからの技術では、ハッシュ+反復深化、late move reductionなども100以上は上がっていると思います。機械学習の効果は、他のレーティング100上昇の技術2つか3つぶんとほぼ等価、ということです。

あと、Bonanzaの機械学習がかなり高いレベルの完成度だったため、Bonanza*以降*に機械学習で棋力を向上する余地はかなり狭くなっていました。伸びしろが全くないことはないでしょうが、Bonanza以降多くの上位チーム(というか、決勝レベルでいうと、私を除くほぼすべてのチーム?)が機械学習に多大なリソースを費やす中、Bonanzaの3駒関係を上回る評価関数を作るのに成功したチームはそう多くないし、成功してもBonanzaとの差はそれほど大きくなかったのではないかと思います。そういう状況を考慮すると、2011年の時点で、短い期間で大きく棋力を向上させようとするのならば、Bonanzaの評価関数をそのまま使い、機械学習にはリソースをさかず、クラスタ並列のみに注力するという戦略は、エンジニアリング的には他に選択肢はなかったろうと考えています。

ちなみにクラスタ並列によるレーティング向上は、4台で150弱、GPSの700台は正確なデータがありませんが、おそらく300-400程度と推測しています。仮に1万台使えるなら500なり600なり向上するでしょう。台数に応じて、少しずつにせよ着実に上がっていく。私が以前「お金を棋力に換える技術」と言ったのはそういうことです。その点で、コンピュータ将棋におけるさまざまな技術の中で、いちばん棋力(レーティング)に対するインパクトが大きいのはクラスタ並列かもしれません。

次に2)ビジネス的条件としての棋力アピールと対局料の問題の話。居酒屋で米長さんとあからの話をしたと前に書きましたが、あからのときはコンピュータ側はもっぱら技術面に終始していて、ビジネス面を考えていた形跡はほとんどありません。これ自体悪いわけではありませんが、私としては「名人との対局を早期に実現するにはどうすべきか」が頭にあって、そのためにすべきことはいくつかあるなと考えていました。これも、研究者とはかなり違った考え方だったでしょう。

私がこう考えるに至ったのは、いくつか理由があります。ひとつは、私が業務でマーケティングをやっていたこと。技術さえあれば世の中うまくいくものでないことはいやというほどわかっていました。相手が話に乗ってくるためには、当たり前ですが"win-win"でなくてはいけない。プロ棋士側のwinとは何か、どうすればそれが得られるか、を考える必要がありました。ふたつめは、前にも紹介した米長さんの中央公論の記事を読んでいたこと。あれだけお金の話されてたら気にしないわけがありません。

実はもうひとつ、みっつめがあります。11年5月にコンピュータ将棋選手権で優勝した後、社内だけでなく社外からも昔の知り合いとかからメール等いただいたのですが、その中に、大学時代の知り合いで今将棋の観戦記者になっている人がいまして、その人のつてでさるプロ棋士と酒を飲みながら話す、という機会がありました。タイトル経験者で、今もトッププロの一角を占める方です。11年5月下旬のことでした。

またとない機会ですのでこのときいろいろお話しさせていただきましたが、当然その中で「率直なところ、プロにとってコンピュータと戦うのってどうなんですか?」と聞いてみました。すると彼曰く、「正直言うと、割に合わないんですよね」とのこと。勝って当然と思われ、万一負けたりすると罵倒される。賞金もそんなにないだろうし。棋士にとってリスクが大きい割にメリットが少ないですよ、というわけです。

この頃は、私の方の見立てでソフトの棋力はプロ下位~中位くらい、と思っていました。プロ側の見積もりはおそらくもう少し低く、奨励会程度と思っていたかもしれません。また前年の清水-あから戦で、賞金も大して出ないというイメージだったのでしょう。それを考えると、このときの棋士さんの発言にはなるほどと思わざるをえませんでした。

それで、じゃあ開発者側として何ができるだろうか?個人レベルでできることは限られているし、F社にお金を出してもらうというのも正直あまり期待できませんでしたが、その範囲で考えたのが「ソフトの棋力を世間/将棋ファンにアピールする」ことでした。この当時、コンピュータ将棋に詳しい一部の人はソフトがプロ下位レベルには達していると思っていましたが、一般の将棋ファンの認識はまだそれほどではなく、清水女流に勝っても「へえ!?意外とソフトやるじゃん」程度の認識の人が大半でした。ソフトがプロをしのぐ程度に強くなったと皆が思うようになれば、ファンはソフト対プロの対戦を期待するだろう。そうして世間の興味を集められれば、スポンサーもついてくれるかもしれない。そしてプロ側としても、ソフトと戦うモチベーションが、金銭的な面でも、また「強い相手と戦いたい」という棋士なら当然持っているであろう面にもアピールするのではないか、と考えたわけです。

付録1で棋力アピールの手法として4つ挙げていますが、いちばん期待していたのはもちろん将棋倶楽部24です。WCSCとfloodgateは、コンピュータどうしの戦いなので、人間に対するアピールがいまひとつ欠ける。twitterも、やはり「対戦」でないのでそう盛り上がるわけではない。人間とコンピュータが対戦する24がその点でベストだし、何より先例として11年5月のponanzaの24参戦が大注目を集めていたことが大きかった。ponanzaの山本さんは手入力で24をやっていましたが、私はそんなことやってる時間はなかったので、F社との協力において24の自動対戦の実現は、私の頭の中ではかなり重要度の高いものでした。

« 企画書後半 ~ 2011年7月時点の認識 | トップページ | 各種データ採取 »

電王戦記録」カテゴリの記事

コメント

雪かき、お疲れ様でした。

地球温暖化の影響があると思いますので、残念ですが「これが最後」にはならないと思いますよ、たぶん。


さて長文の補足、拝読いたしました。

伊藤さんの面目躍恕というところですね。

技術者としては「スケジュール厳守」、営業職としては「対局料」ですか。

まったくもって恐れ入る次第であります。


ところで、囲碁電王戦おわりましたね。

1勝6敗でCOM君、首の皮一枚というところです。

まあ「鍛えがいがある」といえばその通りなのでしょうけれども。

第2回をどうするのか、いらぬ心配をしている所であります。

>ソフトの棋力はプロ下位~中位くらい、と思っていました。プロ側の見積もりはおそらくもう少し低く、奨励会程度と思っていたかもしれません。
//-- 引用ここまで --//

伊藤さんも引用されていた、棋士のレーティングでは、
奨励会3段の上位(プロ棋士と棋戦で対戦可能な人)のレーティングは、2/16 時点で 1526点 85位相当ですね。棋士161人ですので中央やや下レベルです。 

上記の”奨励会程度”が、段位者すべて、または、級位者を含む平均棋力の場合は、”プロ下位”以下となりますが、それでは、範囲が広すぎるような気がします。

質問したいことたまってたのですが、今回で結構クリアー
になりました。
伊藤さんの輪郭も大分クリアーになってきました(謝生意気)。

ひとつ質問です。
今回の一連のブログは、初回の時点で最終回までの構想が
まとまっていて、毎週淡々と掲載しておられるのでしょうか。
都度、ある程度試行錯誤されながら文章を書いておられるの
でしょうか。
特にここ4回の掲載は予定通りです?

bonkrasの大ファンの者です。毎週、ブログの更新を楽しみにしております。コメントは初めてですが、たまに伊藤さんの記事を自分のブログでも紹介させていただいております。

bokrasの名手を紹介した記事がこれ↓私のブログ
ボンクラーズの人間業でない(?)手順にショック!~将棋倶楽部24で連勝中のコンピュータ将棋ソフトbonkras
http://fairymate.blog92.fc2.com/blog-entry-79.html

別の記事で「クラスタ並列に注力した伊藤さんの目の付け所の良さ、機敏さも分かりますね。」と書いたこともありました。↓私のブログ
Bonanzaとbonkrasと「やねうらお」氏~第1回将棋電王トーナメントで活躍した「やねうら王」の前史
http://fairymate.blog92.fc2.com/blog-entry-116.html

今日の伊藤さんの解説を拝見して、とても興味深かったですし、自分の見立てもなかなかいい線を行っていたな、と思いました。

ダークサイドの連載は、貴重な歴史の証言だと思います。引き続き注目させていただきます。

目的が「FJのソフト・ハード両面の技術力の宣伝とする。」とあるが、それならば「(人間の)名人に勝つ」という相対的なゴールよりも「将棋を完全解析する=必勝手順を解明する」という絶対的なゴールのほうが宣伝になると思う。

宇宙人がやってきて「私たちの軍隊は(地球最強である)アメリカ軍よりも強い」と述べてもアメリカ軍が相手にしなければ真偽判明しない。「私たちの軍隊は惑星を凍らせることができる」と述べて、火星を全球凍結させてみせたほうが明快に宣伝になる。

「名人に相手にしてもらう」という条件をクリアしてはじめて到達できるゴールを設定しているので、コンピューター側が制御できない工程をわざわざ組み込んでいるようにみえる。


仮に相対的なゴールを達成する(そのほうがコストとスケジュール的に容易だ)としても、

・名人に(レーティング的な意味で)勝てる将棋ソフトを作る
・実際に名人との対局を実現して勝利

は厳密に異なる。前者ならクラスタ並列でつなげていけば、ある程度正確なコストとスケジュールの見込みで達成できるのかもしれないが、後者は名人に対局してもらうために"「もうだいぶ収益が上がったしそろそろ名人を出してもいいかな」と将棋連盟に思ってもらう工程"が必要。

>>>将棋連盟が暗に求めてきた八百長に乗ったり、まずは若い棋士と対戦して連盟に収益機会を提供する必要もあるのかもしれない。<<<

のだが、伊藤さんは去年の時点で「もう名人より強いですよ」と公の場で述べて(それが事実であったとしても)、将棋連盟に「名人を出してもいいかな=コンピューター将棋でだいぶ儲けたぜ」と思ってもらう工程を省略しているように見える。

伊藤さんは「自分はマーケティングも考慮に入れてる」と思っているようにみえるが、たぶん将棋連盟が思っているマーケティングの程度とはまだ乖離があるのではないかな。

内館が将棋世界に駄文を書いて、一部の読者(すごいロートル層だと思うが)それにカネを払う(と将棋連盟が考えている)ことも連盟が考えるマーケティング。それが正しいかどうかは怪しいけれど。

>初回の時点で最終回までの構想が
>まとまっていて、毎週淡々と掲載しておられるのでしょうか。

構想というほどではないですが、時系列的に何が起こって次何が起こって、というのは大体頭に入ってるので、それを淡々と(?)思いだしながら、時にはメールやWebで確認しながら書いてる感じです。

>たまに伊藤さんの記事を自分のブログでも紹介させていただいております。

トラックバックの方ですよね。拝見しています。紹介ありがとうございます。クラスタ並列に関しては、そうですね、ちょこちょこいろんなところに書いてることを組み合わせれば、別にこのブログはある意味既出のことも多く、特に新しいことばかり書いてるわけではないんです。ただ普通にブログを流し読みするだけではなかなか気づかない。がーすーさんはその点、材料を集めて論理的に推論しており、さすが弁護士さんだなと思いました。

>・名人に(レーティング的な意味で)勝てる将棋ソフトを作る
>・実際に名人との対局を実現して勝利
>は厳密に異なる。

これは全くその通りで、重要な点です。11年の時点では、とりあえず前者に集中、後者はまあできる範囲でやっていこう、という感じでした。その後、後者は見限ることになるわけですが、まあその話はまたおいおい。

私の中の、伊藤さんへの誤解もだいぶ枝刈りされて来ました。
ひとつ残っているのは、何故時に冷酷無情とも思える発言を連盟や(間接的に?)棋士に対してされたのか、という疑問です。
勝手に私がそう感じているだけかも知れませんが。。
伊藤さんが[本格的に連盟に不信感を持った]ときのエピソードを知ることで、はたまた[comに負けても大丈夫ですから]がリアルに感じられた時に、解消されるのかなとは思っています。
しかし、[comに負けても大丈夫(プロ棋士制度にとっても)]が本当だったら、伊藤さんの発言等は何ひとつ問題無いんだよなあ。

>何故時に冷酷無情とも思える発言を連盟や(間接的に?)棋士に対してされたのか

おそらく何か誤解されているのだと思いますが、「冷酷無情とも思える発言」とは具体的にどの発言のことでしょう?今まで棋士に対してそのような発言をした記憶は全くないのですが。

>[comに負けても大丈夫(プロ棋士制度にとっても)]

プロ棋士が*正しく振舞えば*、comに負けてもファンが棋士を応援する状況を作ることはできる、とは今でも思っています。ただしその大前提は、棋士が「応援したくなるような」姿勢をファンに見せること。機関紙で開発者を中傷したりしていては、自らファンを遠ざけているようなものです。プロ棋士の方々にとって、現在の連盟の姿勢がこれでよいのか?は、自分達の将来に切実に関わる問題ですので、真剣に考えられた方がよいのではないかな、と傍目には思っているのですが。今のまま変わらないなら、正直プロ将棋界は崩壊するだろうと予想しています。

企画書は、わかりやすかったです。
これなら、予算がとれそうと思いました。

2月18日23時52分に投稿した者です。
先ずは匿名コメントという形で[冷酷無情]なる表現を用いたことについてお詫び致します。
また私のコメントがご誤認識による可能性も大いにあり、この点もお詫びの対象です。

正義であり正確でありながら、冷たかったり情が薄かったりする言動は存在すると思います。
連盟/棋士に取って攻め方に位置する伊藤さんの言葉であれば全くの第三者から言われるより遥かに堪えるものもあったと思います(当然立ち位置に対する伊藤さんの責はないです)。
塚田/Puella戦の後の[げんなり]、[金さえかければ棋力はなんぼなんでも買える]、リベンジマッチの後の[見る価値なし、なぞり将棋]は、主役である伊藤さんのものであるからこそ、情の薄い、冷たい言葉という印象を私は持ちました。
塚田さんや船江さんに取っては、苦しかったり、不安だったり、惨めだったり、恥ずかしかったりといった思いを散々した後の言葉でしょうし。
その他棋士の皆さんは、将棋に勝つことに人生の大半のエネルギー、時間、情念を投じてきたのだと思いますし。

しかし、伊藤さんの予測の正確性からして、[プロ将棋界の崩壊]は深刻です。渡辺さんなんて私大好きですし、応援しますけど。

[げんなり]、
[金さえかければ棋力はなんぼなんでも買える]、
リベンジマッチの後の[見る価値なし、なぞり将棋]

伊藤氏とか理系の人は、「事実なんだけど何か問題でも?」でおしまいの話題ですね。

00時24分さん

>塚田/Puella戦の後の[げんなり]、[金さえかければ棋力はなんぼなんでも買える]、リベンジマッチの後の[見る価値なし、なぞり将棋]は(中略)情の薄い、冷たい言葉という印象を私は持ちました

なるほど。おっしゃることは理解しました。これに対しての私の考えを述べます。

[げんなり]:これは、将棋の内容について述べたものです。人を批判したものではありません。木村一基さんや河口俊彦さんも同様のことを言って/書いています。あの将棋(の内容)に「げんなり」するのは極めて自然だと思います。これを「冷たい」というのは当たらないでしょう。「つまらない将棋」も同様で、将棋の内容の話であって人格批判ではないし、また羽生さんも別の将棋で「つまらない将棋にした」とコメントしています。これらの表現は決して「冷たい」わけではありません。

[金で棋力は買える]:これは、事実を指摘したにすぎません。たとえばある人が「景気が悪くなって失業者が増えた」と言ったとする。それに対して失業者が「冷酷な言葉だ」と批判するでしょうか?違いますよね。冷酷なのだとすれば、それは不景気という状況が冷酷なのであって、それを指摘した人が冷酷なのではありません。「名人を越えた」も同じ。客観的データに基づいてそう発言しているので、冷酷と言うならそれはデータが冷酷なのであって、発言した人ではないです。そこは混同すべきではないです。私は、事実やデータから読みとれたことを言葉にしているだけ。本を読んでいるようなものです。本を読み上げている人を批判しても、本の内容が変わるわけではないです。

[見る価値なし]:これは、ルールに対して言っていることです。棋士(船江さん)は悪くない、と記事中で明記しています。「棋士に対して冷酷」ではないですよね。ルールを決めたのは(おそらく)谷川会長と(電王戦担当の)片上理事と思われ、彼らのルール決定の判断に対しては確かに私は批判的ですが、それは「棋士として」の彼らではなく「電王戦委員として」の彼らに対して、です。この点でも「棋士に対して冷酷」とは思っていません。

[なぞり将棋]:私は電王戦やリベンジマッチを「なぞり将棋」と表現したことは一度もないですよ。他の人が他のところで書いているのを、あたかも私の発言であるかのように誤認されています。批判する前に、ソースに当たってください。本当に、「私が」そう発言したのですか?確認してから発言されることをお勧めします。


以上ですが、誤解のないように言っておきますと、私は決して 00時24分さんに腹を立てたりしているわけではありません。その点は心配しないでください。ただ、00時24分さんのように誤解されることがけっこうあるので、コメントいただいたのを機会に、私の考えを明確に伝えておいた方がよいかと思い、反論させていただきました。今後とも、筋の通った批判ならば歓迎致します。そのうえで、こちらとして反論すべき点があれば反論していきたいと考えております。

羽生さんが「つまらない将棋にした」とコメントされている件ですが、例えば現在行われている王将戦の第4局における羽生さんのインタビューでは、「つまらない将棋にした」と感じた理由として「角が使いにくい」事をあげられています。
これは王将戦の第4局の将棋の内容が"自分にとって"面白くない展開であった事を説明しているのであって、将棋の内容自体をつまらないと言っているのではありませんよね。
羽生さんが、伊藤さんのように将棋内容自体をつまらないものだと評価した例があるのでしょうか?

>[なぞり将棋]:私は電王戦やリベンジマッチを「なぞり将棋」と
>表現したことは一度もないですよ。

厳密にはその通りかもしれないが、こんなこと↓言っといてその主張は無理があるだろ。

>250万くれるなら、なぞり将棋で負けても文句言わないですw

「棋力は金で買える」は事実だとしても、努力を尽くして、奨励会を突破した(あるいは夢破れた)人達にとっては、人生を否定された気持ちになるのでは?
開発者がそれを言うのは、札束で頬を叩いて「君の欲しいものこれで買えるよ」と言うぐらい悪趣味に映るのではないかと思います。
事実は冷酷でも、どのように伝えるかは伊藤さんに判断の余地があり、その点は批判されても致し方ないのかと私は思いますがいかがでしょう?

00時24分です。
ご丁寧な返信を頂き有難う御座いました。
伊藤さんは多少きつくはあっても嘘をつかない方、というのが私の印象でして、[腹を立てたりしているわけではありません]は図々しくも信じさせて頂きます。

私はここ数回の伊藤さんのブログには好感を持っておりましたし、私も会社員でして、会社員をされながら強いソフトを作られた点など単純に驚嘆・尊敬しています。言う程楽じゃないと想像しますから。

事実も他者の言葉も、回りを見れば溢れかえっておりまして、どの事実、どの他者の言葉を選び、いつ、どの場面で、誰に対しどの様に発するかは、各々の個性であり、そのチョイスによって印象や結果は大きく変わるものと考えております。

例えば、不景気で失業された方の目の前で、不景気だと企業は切っても差し障りのない人を切る、という事実を笑いながら言えば、それを言った人は冷たいという印象を私は持ちます(伊藤さんがそういう事をされたという意味ではなくひとつの例として)。不景気という状況も冷酷であれば、当事者に向かってあえて言う人も冷たい。ましてや人事部長が言えば相当冷たいし、~って新聞に書いてあった、といっても冷たい。

[なぞり将棋]
このブログで冗談ぽく引用(?)しておられ、それに対し冷たい印象を勝手に私が持ったもので、お許し下さい。

私は伊藤さんを批判する気持ちは本当に無く、凄い方なのにたまにきっつい事仰って、それを単に[何故だろう?]と単に不思議に思っていた次第です(誤解であればお許し下さい)。


>将棋の内容が"自分にとって"面白くない展開であった事を説明してい
>るのであって、将棋の内容自体をつまらないと言っているのではありま>せんよね。

いや言ってると思うぞ、白熱する展開を逃し、値打ちのない棋譜にしてしまった。駄目な将棋になった。つまらない将棋になった。皆が見てるタイトル戦なのにやらかしてしまった。どれでも適当じゃなかろうかと思う。
ただ、それでも自分が不利だから不都合だから、つまらない将棋になったというニュアンスを羽生が言うとは思えないけどね。将棋ファンならそんくらい知っとけ。

ご意見失礼します。
伊藤さんの論法で例え話をすると
凄腕プログラマとして入社し、数々の貢献を会社にし仕事にものすごく生き甲斐を感じていた人が、
突然外部からきた取締役に「うちのプログラム類だけど、別にキミがやらなくても代用技術を僕が見つけてきたから。
なんぼでも金で買える。でもキミも今まで通りやってくれても、効率は相当悪いけど大丈夫。*正しく振る舞えば*別に会社で給料泥棒とか言って叩く社員はいないから(笑)」
と言われても正論だから特にムッとしたり、随分失礼な物言いだなとは思わないってことですよね?
私は心が狭いので、随分尊大な物言いだなと感じてしまいますが。。。
やはり人と人とのやりとりであれば、関係がこじれないような言葉選びをした方が得策だったかと思ってしまいます。

部外者ですが、横から失礼します。

2014年2月23日 (日) 11時50分さんの例え話は、伊藤氏と将棋連盟の状況を表すのには適当ではないと思います。以下、適当ではないと思う理由をあげます。

 まず、伊藤氏は「外から来た取締役」ではありません。この例えの中で言うなら「代用技術の開発者」です。例え話をするなら、なるべく条件は例える元に合わせるべきです。
 また、この例えの中の「代用技術」が本当にそのプログラマーの完全な上位互換であり、プログラマーのできることはどんなことでも「代用技術」がより効率よくこなせるのだとしたら、「ふるまいの正しさ」とは無関係にそのプログラマーは用済みであり、給料泥棒です。
 一方、将棋ソフトはプロ棋士の代用品ではありません。ソフトにプロ棋士の代わりはできませんし、逆も同様です(このことは過去の記事に難度か書かれています)プロがソフトに負けたことをもって、プロ棋士を給料泥棒と呼ぶ人がいるのなら、その人は誤った認識をしているわけです。

 「プロ棋士の正しいふるまい」が何なのか、まだこのブログには具体的に書かれていませんので、私個人の考えになってしまうのですが、「ソフト開発者の意見を無視して、プロ側に圧倒的に有利なルールを強要する」「ソフト開発者を中傷する記事を連盟監修の雑誌に掲載する」といったことが正しい振る舞いだとは私には思えません。アスリートであるならば、少なくとも相手の強さ、勝ち負けの結果に対しては真摯でなければいけません。
 「コンピューターよりも強いからプロは偉い、将棋は奥が深い」という間違った理屈に乗るのではなく、事実を事実として認めた上で、人間が将棋で戦うことの意義を自らの姿でもって示す必要があると思うのです。
 (実際、第二回電王戦ですべてを出し尽くして戦った佐藤四段や船江五段、三浦八段(当時)は、敗れてもとてもかっこよく、魅力的でした)

> 2014年2月23日 (日) 10時06分さん

中盤戦で角の使えない形にして、羽生さんが白熱の展開を逃す予感、値打ちのない棋譜にする予感を持たれたと読み取れと言う事でしょうか。参考にしておきます。
さておき、実際、将棋の内容を指して「つまらない」と類似する事を棋士が言う場合もあると思います。でも、そう言う場合、棋士はその将棋を指した当事者として、その将棋を反省したり、観戦者に詫びたりするものだと思います。対して、伊藤さんの「つまらない」にはその棋譜を作り上げた当事者としての意識があまり感じられません。伊藤さんが「ボンクラーズの入玉対策が不十分でつまらない将棋にしてしまった」と言われたならわかるのですが。当事者なのに棋譜を客観的に見て「つまらない将棋」だと評するのと違いがわかりますか?

相手に表現した様に相手から表現のお返しをもらう。
それが嫌なら表現方法を改める。
嫌でないなら継続する。

全てはその人の自由と責任、そして好みの問題のように思えますが、、、。

>2014年2月23日 (日) 11時50分 さん
これは単に感想ですが、たぶん技術的特異点に達しない限りプログラマそのものを代替技術で賄うことはできないと思います。また、その人が開発したプログラムの代わりを他社から買えるようになったとすれば、違う仕事や研究テーマを探せばいいだけなので嫌な気分にはならないと思います。

一方、(おそらくプログラマ以外の)現在ある職業について、その職業全体が代替技術に取って代わられることは棋士に限らず今後多く起こると思われます。例えば車の自動運転技術が普及すれば、トラックの運転手なんかは11時50分さんの例え話の通りになるかもしれません。そのような事態に人類がどう向き合うかは重要なテーマですが、技術を開発した人やその事実を指摘した人を責めるのはやはり筋違いだと思います。

>棋士はその将棋を指した当事者として、その将棋を反省したり、観戦>者に詫びたりするものだと思います。

件の内館文章を念頭において、そう考えているのでしょうね。しかし残念ながら棋界は常識人や人格者の集団ではありません。悪く言う人はキチ○イ集団などと言われたり、中原名人の言葉を借りても変わり者の集まりと言う側面もあります。最近などはLPSAの石橋元代表が事の顛末を赤裸々に暴露していたり、このブログ主である伊藤さんもその暗黒面を垣間見たんでしょう。棋士は将棋をつまらない等とは言わない、その前提が大きく間違ってる事をまず言わなくてはいけませんね。

「棋士は将棋をつまらない等とは言わない」というのは内舘さんの認識の間違いなんでしょう。
でもだからといって、伊藤さんが発言した事実にも変わりはないですよね。

政治家が自分の失言についてそういう趣旨ではなかったという釈明をよくしますが、どのように受け取られる可能性があるかは考えなくてはいけないでしょう。
最近は森元首相の浅田真央選手についての発言がそうですよね。

意図的な抜き出しだという反論をされるのかもしれませんが、
それは言い訳にしかなりませんし、
それまでの経緯や態度から総合的にわりと正確に判断されるものです。
そういう場合、御本人には自覚がないのもよくあることです。

伊藤氏は将棋を指した当人でないのだから、「当事者」としての感想を述べることができないのは当然です。もし、伊藤氏が「当事者」的な言い方をしていたなら、「指してもいないくせにエラそうに」などといった批判が出ていたかもしれません。
また、指した当事者でなくても、プロ棋士がはたから見た感想を述べることはありますし、現に電王戦の第四局について、元プロ棋士の河口俊彦氏は観戦記で「二度とこういう将棋は見たくない」とまで書いています(河口氏の文章自体には個人的に疑問に思う点はありますが、感想として公に書いている人がいる、という例として挙げました)。

つまり「当事者としての自覚が感じられない」という批判に対しては、
「はい、そのとおり。でもそれが問題ですか?」としか言いようがないと思います。

個人的に、伊藤さんの言葉はストレートすぎて、「自分ならこういう言い方はしないな」と思うことも多々あります。でも、それは単純に言い方の問題です。事実と異なる記載にもとづいた中傷記事を連盟の雑誌に掲載することが許されるような次元の話ではありません。時々、「態度が悪いから、言葉づかいが悪いから、やりかえされて当然」みたいな意見をみますが、それはまちがっています。

ソフト開発者を当事者では無い呼ばわりするのは非常に見苦しいよ。製作者の許可が無ければ誰も製作物に触れないよ、つまり居なきゃ勝負にならないのに当事者じゃないってどういう理屈よ。クリエイター軽視も甚だしい、開発者の存在も重要なファクターだって考えないのか

当事者は自動的に言動の責任を問われるし客観逃げは違和感を生む。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/507007/55020495

この記事へのトラックバック一覧です: 異端のアプローチ:

« 企画書後半 ~ 2011年7月時点の認識 | トップページ | 各種データ採取 »