名誉毀損 is 何
最初の打合せの2日後、弁護士さんからメールが来ました。連盟に送る文案ができたとのことで、添付されていました。
また、打合せの時に感想戦のニコ生のURLを教えたのですが、それを見てくれました。で、「非礼と言えるような部分はないですね。そもそも、伊藤さんが発言される前に塚田さんは泣いています」とコメントがありました。この指摘には思わず「おぉっ!」と思いました。なるほどそれならば、私の発言が涙の原因でないことは明確です。
私自身、感想戦の詳細まではあまり覚えてなかったのですが、このことから週刊新潮の「塚田九段を泣かせた(非礼感想戦)」との表現がはっきり虚偽であると証明できます。週刊新潮にあったもう一つの点、「棋士は『つまらない将棋』とは絶対言わない」は、ネットでもいろんなところで書かれていたとおり、羽生さんはじめ何人ものプロ棋士が「つまらない将棋」と言ったことを報じた新聞記事がありましたので、こちらは証拠があるのはわかっていました。つまり、週刊新潮は2つの嘘を重ね、その嘘の上に「伊藤は非礼」と批判していたわけです。で、内館記事はその新潮嘘記事を鵜呑みにして書いていることが、第三者に明確に証明できる形でわかりました。打合せの時に既に「たぶん勝てる」とは思ってましたが、この段階で早くも「ほぼ絶対勝てる」との確信に変わりました。
この時は「この弁護士さんすごい!」と思いました。いやまあ、ニコ生をまじめに見れば当然わかると言えばそうなのですが、私自身この点確認しようとも思わなかったので、その当たり前のことをきちんとやるというのがなかなか凡人にはできません。とにかくこれで、この人に任せておけば大丈夫だろう、と信用するようになりました。
まあこの裁判、証拠集めという点ではまったく楽勝でした。知り合いと話していて、今裁判しているというと「実は自分もやった」という人が何人かいて、いろいろ話を聞いたのですが、ある人の話では、家を貸したらペット禁止と言ったのに飼われ、汚されたので損害賠償を求めて訴えた、というのがありました。このときは、「貸した人のペットによって汚された(それ以外の理由で自分が汚したのではない)」ことの証拠集めに苦労したそうです。たしかにこれ、第三者に明確に証明するのは難しそうです。そういう意味では私のケースでは、将棋世界の記事ははっきり残っている、ニコ生も見える、という状態で、何も考える必要がありませんでした。
さて、連盟に送る文案について、細部を詰めるためにもう一度打合せをすることにしました。後で慣れてくると、打合せのかなりの部分はメールで済ますようになるのですが、この時はまだ直接会って話していました。
13年6月24日、また事務所に行きました。前回、ニコ生の感想戦のURLやこのブログの対塚田戦の記事(含コメント)等も知らせておいて、それを見てもらったのですが、会っての弁護士さんの第一声は「何かあったんですか?」、でした。つまり、感想戦での私の話の内容は、自分のソフトの指した将棋を卑下して言っているだけで、失礼にあたる部分は見当たらない。なのになんであんなに批判されているのか?背後に別な事情があるのではないか?と思ったそうです。
私はこれを聞いて、それはそうだろうな、と思いました。普通に考えて、あの感想戦を見て私が塚田さんを批判していると解釈するというのは、よっぽど歪んだ目で見ていないとできないでしょう。ただ、第三者が見てもそう考えるとわかったのは大きな収穫でした。裁判官も同様に思うでしょうから、「これで勝てるな」という思いを更に強くしました。弁護士さんには、「私が『ソフトは名人を越えた』と発言したことに対して、連盟や一部の将棋ファンが非常に反発して、些細なことでも私の揚げ足を取ろうとしてるんだと思います」と説明しました。納得されたかどうかわかりませんが。
そういうわけで、この裁判、私は最初から勝利を確信していたため、「負けるかもしれない」と不安になったことはほとんどありませんでした。むしろ、楽観ムードになりがちなのを、「いや、裁判だから何があるかわからない、油断せずに慎重に進めないと」と気を引き締めるのに苦労したくらいです。「裁判に負けるかもしれない」という状況は、精神的に相当のストレスでしょう。それが1年半も続くと、精神的に参ってしまうこともありえるかもしれません。ですが私は幸い、ストレスに苦しむことはありませんでした。
ともかくこの日、連盟に送る通知書の文案を、メールにあった原案をベースに、細部を相談して決めました。以下の通りです。
この通知書も、いわゆる「弁護士的な」文章で、なかなか一般人にはわかりづらいところがあるかと思います。法律上の重要な争点となるところもいくつか含まれていますので、少し詳しく説明します。
まず基本的に、相手に「賠償せよ」と要求する以上、どの法律に基づくのかを明確にする必要があります。そもそも「名誉毀損」とは何なのでしょうか。まずはウィキペディアを見てみましょう。
これによると、民事と刑事の両方があります。ただ弁護士さん曰く、刑事の名誉毀損罪は、表現の自由との絡みで立件が相当難しい、今回も無理だろう、とのこと。で、とりあえずは民事で進めることになります。実は後で、刑事もできないかと思って少しやってみたのですが、弁護士さんの言った通り無理でした。この点はまた後ほど述べます。
民事の場合、民法417,709,710,723条が根拠になります。ちなみに刑事の方は刑法230条です。
----------- 民法から抜粋 -----------
第417条
損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第710条
他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
第723条
他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。
----------- 民法から抜粋 おわり -----------
709,710条により、名誉を侵害したことによって損害賠償の責任が発生します。417条により、賠償は金銭で行なうことになりますが、名誉毀損の場合は723条によって特別に、金銭の他に名誉を回復する処分、つまり謝罪広告も請求できます。このように、いちいち法律に根拠を求めて、「だからこれこれこうなんだ」と主張するのが「リーガル・マインド」の基本です。417条は弁護士的には常識なので書いてませんが、709,710条については、今回のケースがこれらの条文にあてはまることを明示的に指摘しています。
ちなみに、709条でいう「他人の権利又は法律上保護される利益の侵害」のことを「不法行為」といいます。通知書にもこの単語を使っています。これは民事の用語で、「犯罪」は刑事の用語です。民事訴訟で判決が出ても、負けた人を「犯罪者」と呼ぶことはできません。
さて、710条で言う「名誉の侵害」とは何か、というのは法律の条文だけ見ても具体的にはわかりません。こういう時は判例や法理が重要になってきます。そこで通知書の3(1)の大阪高裁の判決が、名誉の侵害の具体的定義として引用されています。引用したうえで、「今回は確かにこれにあてはまるよね」と言っているわけです。
また、「名誉は毀損するが名誉毀損にあたらない」ケースとして「真実性の抗弁」というのがあります。ウィキペディアにもありますが、次の3つの条件が全て成り立つときは名誉毀損となりません。この目的は、たとえば政治家のスキャンダルを暴く行為を名誉毀損にしないためです。
1. 摘示した事実が公共の利害に関する事実であること(公共性)
2 .その事実を摘示した目的が公益を図ることにあること(公益性)
3. 摘示した事実が真実であること・真実であるとの相当な理由のあること(真実性・相当の理由)
なおこれらは刑法230条の2と同じに見えます。刑事と民事は本来別物なのですが、この部分については刑事の考え方が民事にもあてはまる、ということなのでしょうかね。この辺、理由はちょっと私にはよくわかりませんが、とにかく上記の「真実性の抗弁」は民事でも成り立つとのことです。
で、通知書の3(2)は、これらがあてはまらないことを指摘しているわけです。なお、後で裁判のとき、被告側は「この3つが成り立つ、だから名誉毀損ではない」という主張をしてくることになります。
もうひとつ刑事と民事の違いに、事実の摘示が必須か、というのがあります。刑法230条では必須となっています。単に「伊藤は非礼だ」と言うだけならば、事実の摘示ではないので、刑法上は名誉毀損罪ではなく侮辱罪になります。今回だと「『つまらない将棋』と言った」、は事実の摘示に当ります。ですが民事では、通知書の大阪高裁判決にあるように、事実の摘示か、意見ないし論評の表明かを問わず名誉毀損になる、だそうです。
この「事実」という単語がまたわかりづらいのですが、法律用語で事実とは、論理学で言う「命題」に近いもののようです。つまり、単なる意見や感想ではなく、具体的に「誰それがXXXした」のような叙述であり、その真偽は問わない、とのこと。したがって「虚偽の事実」という言い方も出てきます。「(伊藤の一言が)塚田さんを泣かせた」というのは、意見や論評ではなく「事実」だけど、虚偽だ、ということになります。ただ一般の感覚としては、「事実」といったら実際に起こったことを指すと思うので、ここは私の感覚としては言葉の使い方として非常に気持ち悪かったのですが、とにかく法律の世界では「事実」とはこういうもの、なのだそうです。
で、「事実の摘示」があった場合、その事実の真偽に関わらず一応名誉毀損は成立します。今回の「塚田さんを泣かせた」は虚偽ですが、仮にこれが真実であっても、私の社会的評価を下げる言説であれば名誉毀損が成立することになります。
ただし、事実が真実である場合は、表現の自由との兼ね合いが問題になります。細かい点はケースバイケースですが、事実が真ならば名誉毀損が認められる可能性はかなり低くなるでしょうし、仮に認められても賠償金額はかなり小さく抑えられるでしょう。ですので事実の真偽は、裁判上はやはり重要になります。
以上、今回の裁判に関する法律上のポイントをまとめておきました。当然私も、当初はこれらのことは全く知らず、裁判を進めていくうえで弁護士さんから教わったり、ググって調べたりしたものです。
さて、通知書の最後にあるように、やりとりは代理人を通してやるのが基本、のようです。まあたしかに、通常は当人どうしは顔も見たくないという場合もあるでしょうから、こうなるのでしょうね。
というわけで、通知書の文案を決めて、この日の打ち合わせは終了です。送るのは弁護士さんにお任せです。
* * *
ここで、前回の記事でやや誤解を招きかねない部分がありましたのでちょっと補足しておきます。弁護士報酬が「裁判だと1件約10万」と書きましたが、これは定額報酬の部分のことです。この他に成功報酬がありまして、この事務所の場合は賠償金の1割となっていました。これも事務所によっては、2割とかのところもあると思います。
« 裁判長!ここは賠償金1億円でどうすか | トップページ | すみませんで済めば裁判所要らねえんだよ »
「裁判記録」カテゴリの記事
- 歴史の審判(2017.02.28)
- 最後のピースも嵌まる(2015.11.26)
- 和解条項が履行されるまでが裁判です(2015.06.02)
- 無慈悲に戦い抜く(2015.05.24)
- 和解への圧力(2015.05.13)
発行部数が将棋世界よりも圧倒的に多い週刊新潮を訴えなかったことにまだ疑問が残るのですが、弁護士さんからは週刊新潮の記事も名誉毀損に相当するという話は無かったのでしょうか?
投稿: SAITO | 2015年1月14日 (水) 00時54分
「「私が『ソフトは名人を越えた』と発言したことに対して、連盟や一部の将棋ファンが非常に反発して、些細なことでも私の揚げ足を取ろうとしてるんだと思います」」との御説明。私はずばり「ハズレ」だと思います。事態を多少大げさに言ったところで、いかにも大げさなら、言われた方の打撃は、たいした事が無いものであると私は思うからです。「『ハードウェアーの力で、プロ棋士に挑戦する』とのスタンスの、PC将棋の開発者を予め排除して、ソフトウェアーの勝負だけにPC将棋側の勢力を切り詰めさせ、将棋連盟の負担を減らす方針で行くと言う、基本戦術が具体的に遂行された」姿では。こういう「どこかに、この裁判争点の『文化』が残っているような『昔の合戦参謀の思考』との関連説」はどうですかね。
投稿: 長さん | 2015年1月14日 (水) 10時34分
SAITOさんのコメントにある通り、週刊誌を訴えないのはアンバランスな気がしますね。
前の記事で週刊誌はくだらないものだから無視したとおっしゃってましたけど、発行部数やそもそもの原因を考えれば将棋世界だけを訴えるというのは、将棋連盟からしたら腑に落ちないでしょうね。
投稿: | 2015年1月14日 (水) 21時39分
素人判断ですが、詰めて考えれば週刊新潮の記事は、月刊誌『将棋世
界』における著名脚本家内館牧子氏連載のコラムの中で、電王戦につ
いてかくかくしかじか書かれていたが・・・と客観事実になるわけで、名誉
棄損裁判の対象については筆者内館牧子氏、編集責任者日本将棋連盟、販売元マイナビの3者とするのはごく自然なことでしょう。
それより『内館牧子』と言う誰でも知っている大著名人が被告人として訴
えられた裁判で、「土下座謝罪」と言っても良いほどの判決がでたにも拘
わらず、マスコミに一切話題が上らないという事実の方が驚愕に値しま
す。
週刊新潮は何故書かぬ? K安さんはどうした?(笑)。
投稿: | 2015年1月14日 (水) 23時48分
上のコメントの件は、韓国の大統領が、朝鮮日報の記事を踏まえて記事を書いた産経新聞を訴えたが朝鮮日報を訴えなかった件と似てますね。
まぁそうは言っても、別に被害者側が公平に加害者全員を訴える義務はないのですが。
投稿: | 2015年1月14日 (水) 23時56分
将棋を知っている人間にとって、将棋世界以上に影響力のある雑誌があるのでしょうか。
過去には、週刊誌上にプロ棋士や将棋連盟のスキャンダラスな記事が多く掲載されているのを目にしてきましたが、その記事に対して連盟が名誉毀損で訴えた話は寡聞にして存じません。
週刊誌のゴシップ記事とは、将棋界にとってはその程度の扱いだったと思うのですが、何故週刊誌の記事と将棋世界の記事を同一視して扱わないとおかしいのでしょうか。
投稿: 正当な評価とは | 2015年1月16日 (金) 01時38分
読んでて気になったのは、画像2枚目の頭の
名誉感情を侵害する不法行為って言葉ですが、これは所謂名誉毀損って認識でいいのでしょうか?
私が以前お世話になった弁護士さんは、着手金20万円で成功報酬20%+その他費用でした
投稿: | 2015年1月17日 (土) 21時05分
週刊新潮を訴えないことについて疑問を書いている方がいらっしゃいますが、伊藤さんご自身が
「将棋世界誌は、少なくとも将棋ファンにとっては、それなりに権威がある情報源」
であり、
「2chや週刊新潮に書かれていれば誰も信用しない」
と理由を書かれていますよね。
将棋ファンにとって影響力のある将棋世界誌だからこそ訴えたことに十分に理由があると思います。
なんとなく、週刊新潮も訴えないとと言っている方からは、将棋世界誌の責任を薄めたいという意図があるように、私は感じました。
投稿: とらとら | 2015年1月18日 (日) 16時58分
とらとらさん
週刊新潮を訴えることと将棋世界誌の責任が薄まることは全くつながりませんよ。
投稿: | 2015年1月18日 (日) 23時21分
なるほど、将棋世界誌の責任を薄めないために、伊藤さんは週刊新潮を訴えなかったのか。
投稿: みずの | 2015年1月19日 (月) 00時32分