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無慈悲に戦い抜く

第4回(14年7月初)の最後に和解金額を提示しまして、第5回(7月末)の直前に被告から回答が来ました。そのときのFAXが以下です。

 

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謝罪するのはOK、ただし金額は半分近くまでの減額を要求しています。また、「和解金支払い事実および支払い額」に対して口外秘を要求しています。

第5回と第6回では、主に口外秘の件と謝罪文の文言について議論しました。準備手続きの最中は議論するのに手いっぱいでメモをとっていないので、どの回にどの話をしたかまで正確に記憶してない面もあるのですが、当時の弁護士さんとのメールやりとりを見ると、第6回まででこの2つがほぼ合意したことは記録に残っています。

まず賠償金額についてですが、先方の大幅割引要求に対して「そんなには下げられないが、じゃあ少しだけ下げましょう」と言って、ほんのわずかだけ下げた金額を提示します。別に値下げしなくても、元の金額を強硬に主張すればおそらく通っていたとは思います。ですがそうすると、相手が「メンツをつぶされた」と感じ、ムキになって反撃してくる可能性が高い。そうすると、裁判上負けることはなくても、長引くだろう。なので、ガス抜き的な意味でわずかでも下げて/相手の要求を通して、相手のメンツを立てて早めに納得してもらう、という意味合いです。この辺はバザールでの値段交渉みたいなもので、ビジネスでもよくある、ある意味常道です。実際これで相手も、書面では「これが最大限の譲歩」と書いているのですが、この額であっさり妥協し、すんなり決まりました。

次は口外秘。第4回と同様、被告と原告がそれぞれ交代で裁判官と話します。被告側が口外秘を要求していますが、こちらは「なんでそんなものが必要なのか」と理由を聞きます。

こちらのスタンスとしては、情報はできるだけ公開したい。その理由は、私以外にも雑誌で名誉を毀損されるなどして、裁判を考えている人がいる。しかし一般の人には裁判というのは縁遠いもので、裁判やったら何がどうなるのかがわからない。コストはいくらかかるのか?賠償金はどのくらい取れるのか?労力はどのくらい必要?そもそも勝てるのか/名誉回復できるのか?等々。私も事前にいろいろググったりしたのですが、あまり詳しい情報ってなかなかわからないんです。その理由のひとつはおそらく、多くのケースで口外秘によって和解内容が外に出ないためなのでしょう。しかし私はこれはおかしいと思う。私は、自分と同じように裁判を考えているが、不安で踏み出せない人たちを応援したい。その一環として、金銭面も含めて裁判の実情を情報公開したい。そう考えており、それを裁判官にも伝えました。

ですが被告はとにかく口外秘を望んでいるというので、妥協点を探る糸口として「じゃあ、被告は口外秘によって、何を達成したいんですか?何を守りたいんですか?情報が漏れると、どういうふうに困るんですか?それがわかれば、こちらの目的もむこうの目的も達成できるような落し所が見つかるかもしれないので、まずそれを聞いていただけますか」と裁判官に言います。それでまた被告と交代してしばし待つ。

このあと、また交代して個別に話したのだったか、三者交えて話したのだったが記憶が定かでないですが、ともかく話した内容としては、「要は被告が心配しているのは、多額の賠償金を取られたことが世間に知られると、同じような訴訟が多数来て収拾がつかなくなるから。支払いの事実は言ってもよい。だが金額は言わないでほしい」とのことでした。支払いの事実は公開可、というのは、事前の書面に比べると妥協しています。

それで持ち帰って検討し、第6回でも少し議論した結果、こちらとしては「損をしなかった」ことだけ言えれば、具体的な金額は口外秘でも可、ということにしました。こちらの目的は「裁判を考えている人を応援すること」であり、彼らの目的は通常は名誉の回復で、金銭目的で儲けようとする人たちではない。そういう人たちは、赤字は嫌がるだろうが、「損ではない」ことだけわかれば裁判に踏み切る後押しに十分なるだろう、という判断です。その他被告がいろいろ言ってきたためもう少し余計な条件が付け加わり、以前の記事に載せた和解条項の5項の黒字部分がつくのですが、まああまり本質的な条件ではありません。これでいちおう口外秘については合意をみました。

次に謝罪文面です。この記事の最初に載せた和解案のFAXに、むこうの最初の文案が載っています。この謝罪文がまたなんというか、連盟の見苦しさがよく出ています。形式上も内舘氏一人が責任をかぶる形だし、文中でも「連盟はまったく関与しておらず…」などとわざわざ入れてくる。これ、内舘氏個人に確認とったのでしょうかね?被告は連盟・マイナビ・内舘氏の3者ですが、弁護士は連盟と内舘氏は共通になっています。おそらく弁護士への依頼は連盟がやり、費用は連盟が出していて、内舘氏のぶんもやりますよ、ということだと思いますが、裁判の過程でどれだけ内舘氏と連絡・確認をとっていたのでしょうかね。ひょっとしてまったく連絡もとってなかったのでしょうか。しかしここで全て内舘氏一人の責任にして自分たちが知らん顔するような文を出してくる神経がちょっとわかりません。

私は内舘氏個人に対しては、実はそれほど怒っていません。もちろん言ってる内容はおかしいとは思いますが、個人レベルでおかしいことを言う人というのは彼女に限らず、それこそ2chとか見ればたくさんいて、そんなのはいちいちまともに相手にすることもない、と考えているからです。

しかし、発行部数20万部()という影響力の大きい雑誌に記事を載せるのは、個人の発言とは訳が違います。影響力の大きいメディアは、それだけ責任を伴う。各記事のライターは個人ですから時々おかしなことを書いてくる人もいるのですが、メディア側は変な記事が外に出ないよう編集でチェックする責任があります。そういう意味で、謝罪すべきは内舘氏よりもむしろ発行者である連盟です。実際、新潮やら文春やらが時々やはり記事に関する名誉毀損の訴訟で負けていますが、あれ全部被告は出版社で、個々の記事のライターではありません。その点を考えると、ここでの連盟の姿勢は全く自己の責任を否定しようとする逃げ・言い訳にすぎません。責任をかぶせられかけた内舘氏には、この時は敵ながらちょっと同情すらしてしまいました。

こちら側からは、もともと訴状の別紙に謝罪文案を載せていまして、こちらの主張としてはこれがベースになります。一字一句変えるなというつもりはもちろんないのですが、いくつか外せないポイントがあります。それは

 1)謝罪の主体は連盟・マイナビ・内舘氏の3者であること
 2)元の新潮記事が虚偽であることに触れること
 3)誤解ではなく、意図的な侮辱であったことを認める(最低限、否定しない)こと
 4)レイアウトは、見開き2ページ(「月夜の駒音」と同じ)

などです。謝罪文の検討は個別でなく三者で行ったのですが、これらのポイントを挙げて「これらが満たされないなら和解するつもりはない」旨、裁判官と被告に向かって明確に宣言しました。被告側は、たとえばレイアウトに対してはマイナビが「この文章量だと、2ページではレイアウト上すかすかになってしまい、見栄えが悪いんですよ。1ページでいいんじゃないでしょうか」などとしきりに言ってきますが、こちらは「原状回復が原則です。元記事を読むことによって私の評価が傷つけられているので、謝罪は元記事(2ページ)と同程度以上に目立つようにしなくてはなりません。ですので最低2ページは必要です。」とあくまで強硬に主張します。すると被告はそれほど抵抗せず、2ページに同意します。

おそらく被告も、裁判官との個別の協議では、裁判官からきつく言われているのでしょう。明確な名誉毀損なので、判決になったら被告にとって非常にきびしい結果になるだろう。できるだけ原告の意に沿った謝罪&賠償にした方がいいですよ、などと。まあこれは推測ですが、全般に第4回の最後で賠償金額の値下げを提示して以降は、裁判官は明らかにこちらの肩を持っている感じでした。やはり裁判官のこちらに対する懸念は、金額の一点だけだったようで、そこをこちらがあっさり妥協したので、あとはこちらの主張がほぼ全面的に通る感じでした。

とはいえ中には裁判官とこちらの意見が分かれる場面も当然あります。上記1)~4)のうち、1、3、4はすんなり通ったのですが、2)はなぜか裁判官が難色を示します。訳を聞くと、この裁判は将棋世界の記事を対象としたもので、週刊新潮は対象ではない。そういう裁判で、対象でない週刊新潮記事の真偽について判断を示すのはふさわしくない、という考えだとのことでした。

ですがここはこちらも譲れませんで、2)は絶対必要、ここが認められないなら和解するつもりはない、判決で結構、と主張します。理由は次のとおり:
元記事(「月夜の駒音」)が私の評価を傷つけた大きな要因のひとつは、それが(虚偽の)「事実」に基づいているからです。単に事実を挙げずに「伊藤は教養がない」とだけ書いたのであれば、おそらくそれを信じる人はほとんどいない。「つまらない将棋とは棋士は絶対言わない」、「塚田さんは伊藤の発言で泣いた」という虚偽の事実を挙げて、それに基づいたうえで「だから伊藤は教養がないんだ」と言っているから、読者も「なるほど、そういう事実に基づいてるんだから、内舘氏の主張は正しそうだな」と思うのです。つまり、「伊藤は教養がない」という読者の誤った評価を覆すには、その前提となっている「つまらない将棋とは棋士は絶対言わない」、「塚田さんは伊藤の発言で泣いた」という"事実"を謝罪文の中で虚偽として否定することが絶対に必要です。

更にもう一点、続けて主張。このころSTAP細胞の話題がホットだったので、それを例にあげます:
ここにいる裁判官、弁護士の皆さんはみな文系でしょうが、私はエンジニア、理系です。理系の人間にとっては、最も重要なのは客観的事実。事実を積み重ねて、そこから論理的に推論して結論を得る。それが我々理系の基本スタンスです。当然、元になる事実が虚偽であれば、そこから推論されたすべての結論は無意味です。STAP細胞の件にしたって、「元の実験データが嘘だから」、だから結論が間違っている、と言える。元の実験データが真か偽かを問わないと、結論の間違いを示すことはできません。この裁判も全く同じ。元の事実が虚偽であることを明確にしないと、「教養がない」という記事の主張が間違っていることを示したことにならないのです。

…とまあこういう感じで、私が演説します。

ですが裁判官はなおも反論します。
「事実と言いますが、実はそれもそう簡単にわかるものではありません。動画だって、編集されているかもしれないし、…」

なるほど、一般論としてはたしかにそうなのでしょう。裁判官としては職務上当然のスタンスかもしれません。しかし、今回の私にはその理屈は通用しません。

「だって私、感想戦の現場にいましたよ?」

さすがにこれには裁判官も反論できず、結局最後は私の主張に同意してくれました。被告の方は、裁判官が明確に意志表示したことに対してはあまり反論しません。私の方は平気で自説を主張するのですが。

このときの裁判官も、おそらく本心では新潮記事が嘘であることはわかっていただろうと思います。しかしそのことを裁判で判断を示すのが、それほど抵抗のあるものなのでしょうか。それだけにしては、あまりにも抵抗が強すぎたような気もします。それとも、何か他の隠された理由があったのか。この辺、正直よくわかりません。

第3回までは私はほとんど裁判中発言してませんでしたが、第4回以降では出席者の中でおそらくいちばん多くしゃべってたのは私じゃないかと思います。弁護士さんとはもちろん十分打ち合わせ等で意思疎通したうえで裁判の臨むのですが、やはり議論の中のその時々に出てくる話に対して、的確な「原告の考え・意向」を言えるのは私自身だけで、それは弁護士さんに期待はできません。まあ私はこういう論理的な話を展開するのは割と得意な方なのですが、そういうのは苦手な方も多いでしょうから、そういう人は自分は出廷せず弁護士に任せる方がいいかもしれません。

そういうわけで、新潮記事の虚偽を認めることは裁判官に同意してもらえたのですが、ここでマイナビ側から異議。「うちの出版物で『新潮が虚偽だった』と書くと、下手すると新潮から訴えられかねないので…」おぉ、そうきたか。さてどう反論しようか、と考えを巡らせはじめたところ、裁判官が言います:「こういう言い方でどうですか。『新潮記事にかかる事実の真偽を確認しなかった結果、~』」

うーん、さすがw こう書いてあれば、読む人は誰でも「ああ、新潮記事は嘘だったんだな」と解釈します。ですがもしこれで仮に新潮がマイナビを訴えたら、マイナビは「え?新潮記事が嘘だなんてどこにも書いてないですよ?」と言えるわけです。この辺はもう経験値というか、「こういう時はこういう表現」みたいなのでデータベースとして脳内に蓄積されてるんでしょうね。これで一同同意しまして、最終的な和解文面もこの表現になっています。

以上のような感じで文面を詰めていきます。長くなるので全部は書きませんし私も正直議論の細部まで全部は覚えてないですが、とにかくこういう感じで、和解文面や謝罪文面は、一見何気ない表現のように見えても、実は一言一句までいろんな考えが詰まった結果ああなっていますよ、というのを感じていただければと思います。

裁判官や弁護士に求められる能力は、法律の知識はもちろんですが、国語(現代文)の能力はとても重要だなと思いました。この表現だと、何を含意していて、何を含意していないか?何が明示的に書かれていて、何が明示的ではないが示唆されているのか?そういうことを、非常に細かく厳密なレベルで作文することが要求される。私も仕事で契約書の作成をやってましたので、そういう面では多少経験がある方だろうと思うのですが、法曹界はまた一段と要求レベルが違うな、と感じていました。

第5回と第6回のやりとりは以上のようなものでした。さてまた裁判をやる上での教訓ですが、とにかく「主張すべきことは、誰に何を言われようと絶対に譲らず主張しつづけること」、ですね。これに尽きます。

もちろん、やみくもに強硬な主張をしても相手にされません。まず、自分の主張をよくよく吟味し、「譲れない部分」は正確に何と何か?を十分考える。その際のポイントは

1)法律・法理に基づいているか
2)事実に即しているか
3)論理的な展開をしているか

の3つです。たとえば上述の「レイアウトは2ページ」という主張は、「原状回復が基本」という原則から来ています。嘘記事によって評判が低下させられた損害を回復するには、その記事と同程度以上に目立つ謝罪広告が必要、というのは十分な論拠があります。だからここは譲らず主張する。「元記事の真偽判断が必要」という主張もやはり原則から導かれるものなので、これは譲ってはいけない。

一方、前回の賠償金額の話では、そもそも名誉毀損というのは人の心の中の話なので、具体的な損害額の算定、その明確な基準を示すことは事実上不可能です。裁判官が、事情をよく知ったうえで「このケースならばこのくらいの額が妥当」と考えたら、それに対して有効に反論する術はありません。こういう時はやみくもに主張してもダメで、譲らなくてはならない。「2chで言ってるしぃ~」は当然論外。

そういう「譲れない線」の見極めを、深い検討を通して行った後は、とにかく強硬に主張する。相手方の弁護士はもちろん、裁判官に対しても決して譲ってはいけません。裁判官は基本善意だし、できる限り公正であろうとしているとは思いますが、前回書いたとおり「案件の迅速な解決」が彼らにとっては最重要、と思っておいた方がよいでしょう。和解を引き出すため、双方に対して、脅しめいた文句も交えながら、要求を引き下げさせようとしてくる。それに負けていったん条件を下げたら、「じゃあそれでいいですね」と和解にされてしまいます。

今回の件、事実関係だけ見ると、こちらが圧倒的に有利でした。将棋世界の記事は動かしようのない証拠として残っているし、ニコ生感想戦での私の発言も正確にわかる。しかし、それだけ有利な状況にも関わらず、こちらが裁判での対応を少し間違えていたら、およそ勝利とは言えないような和解内容になっていたかもしれないのです。賠償金は無し。謝罪文は「侮辱する意図はなかったから誤解だけど、気に障ったらごめんね~ あと、連盟は全く悪くないから。てへぺろ」程度で、扱いも小さな囲い記事程度。こちらが脅しに屈して主張を緩めていたら、そんな風になっていたかもしれないわけです。そうならずに完全勝利の和解内容にすることができたのは、こちらが何を譲り、何を譲らないかを十分検討し、譲らないと決めたことは決して譲らずに、裁判官に対しても臆せず反対して主張し続けたからです。

また、裁判の場で相手が、全面的にせよ部分的にせよ、柔軟姿勢を見せてくることがあります。今回の裁判でも、被告は「金銭支払いの義務はないが、おわびはしたいと思っている」と主張していました。こういうことを言われると、「そう言うのなら許してもいいか」などと騙される人もいるかもしれません。ですが、一般論としてこういうのはまず信用できないと思ってよいです。前にも書いた通り、連盟は当初はそう主張していましたが、後の議論の中でぽろっと「謝罪すべきとは考えていない」と本音をもらし、「おわびしたい」は単なるポーズに過ぎなかったことが明らかになりました。大事なことなので繰り返します:騙されてはいけません。

大体、本当に本心から反省しているのならば、そもそも裁判にまでなっていないのです。裁判前は一向に反省の色が見られない、だから提訴した。それが裁判の場で突然柔軟姿勢を見せるのは、裁判官の心証をよくして少しでも判決ないし和解の内容を良くしようとするための作戦にすぎない、と考えた方がよいでしょう。

裁判において、遠慮や気遣いは百害あって一利なし。空気など読んではいけません。容赦せず、徹底的に戦いましょう。

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コメント

この空気の読めなさは伊藤さんならではですね

さすが伊藤ッッ!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ

そこにシビれない!あこがれないィ!

弁護士の性能の違いが

裁判の決定的差でないということを教えてやる!

>、「要は被告が心配しているのは、多額の賠償金を取られたことが世間に知られると、同じような訴訟が多数来て収拾がつかなくなるから。

なるほど。連盟は、”同じような訴訟”が”多数来”る、状況にあるという事ですね。

裁判が証拠によって事実を認定し、認定した事実に法を適用して判決を出すものだと理解していただけなかったようで残念です。

>おそらく本心では新潮記事が嘘であることはわかっていただろうと思います。しかしそのことを裁判で判断を示すのが、それほど抵抗のあるものなのでしょうか。それだけにしては、あまりにも抵抗が強すぎたような気もします。

裁判官としては(自分は新潮側の虚偽に近いと思っても)、新潮の言い分を一切聞かずにそれを認定することは避けたいという意図ではないでしょうか?
新潮を虚偽だとここで認定すると、新潮側を証人喚問なり答弁書をもらうなりしなければならなくなる、それは避けたいと。

>「こういう言い方でどうですか。『新潮記事にかかる事実の真偽を確認しなかった結果、~』」「

この表現を裁判長が奨めたのも、自分の裁判で新潮側の言い分を一切聞かずに虚偽だと認定したと思われたくないという意味もあると思います。

まあ、あくまでも、裁判長の立場で考えればということで。

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