今、最高にシュールでSF的な街:陸前高田
少し前にたまたま仙台近辺に行く用事があった。それまで被災地方面に行ったことはなかったのだが、この機会についでに見てこようかと突如思い立ち、震災被災地に行ってきた。数か所巡ったのだが、中でも一番印象強かった陸前高田の様子を書き留めておく。
陸前高田を行先の一つに選んだのは、ニュースで被災地として名前を聞いた覚えがあって、かつ比較的交通の便がよくて行きやすそうだった、という程度の理由である。というか名前は聞いたことあったのだが、どこにあるのかすらロクに知らなかった。ちなみにここ↓である。なお読みは「りくぜんたかた」らしい(最後濁らない)。
メインのアクセスルートだったJR大船渡線は震災以後不通になっていて、今はその代替のBRTというバス路線がある。そのBRTで気仙沼から陸前高田へ向かった。その時持っていった市内の地図を載せておく。
この地図は、震災直後に出た「東日本大震災 復興支援地図」というやつで、各地域でどこまで津波が来たか、が載っている。地図で黄色の部分が津波の来たところだそう。地図中の赤矢印の意味については後ほど書く。
まわりの景色と地図とを比べながらバスに乗っていたのだが、市街地に近づいたあたりからちょっとどこを走ってるのかわからなくなった。地図上にある目印になりそうなものを探すのだが、まったく見当たらないのだ。そうこうしているうちに丘の上で「陸前高田駅」なるバス停(?)に着いた。BRTは基本的にJRの代替で、JRの駅に発着するはずなのだが、着いた所はどう考えても地図にある陸前高田駅ではない。駅も津波被害に遭って移転したのだろうか?
現在地がわからなくては地図が使えず困ったのだが、とりあえず勘を頼りに適当に歩きだした。丘を降りると、こんな感じのところに出る。
何だろ、これ?防波堤?てことはこの向こうが海なのか?と思って地図と照らし合わせるも、まだ自分がどこにいるのかわからない。なお、見渡す限り、歩いているのは私一人。店はおろか建物すら一切無い。車は時折まばらに通る程度。道を聞こうにも聞きようがない。
もう少し歩くと、「第3ゲート」と書かれたところに出る。こんな看板があった。
地図と照らし合わせてみると、あれ、何となく似ている。いや、似てはいるんだけど…
もう少し行くと、道路がその防波堤っぽいものの上に登っていたので、そこまで行って、さっきの第3ゲートと同じ方向、防波堤もどきの向こうを見てみた。こんな感じ。
ずっと向こうまで何もない。ただ、ところどころ盛り土のように高くなっている。
…ということは、やっぱりそういうことなのか?
つまり、さっきの「第3ゲート」は、上の地図での赤矢印の地点のようなのだ。上の写真は第3ゲートの地点から赤矢印の方向を見たもの、ということになる。看板に見られた道路や地形と照らし合わせると、それ以外に考えられない。
問題は、地図上だと赤矢印の先はずっと市街地のはずなのだが、それはどこへ行ったのか?ということだ。その答えはどうやら、「全部津波で流された」ということのようである。地図で見ると、第3ゲートから海までは1km弱くらいなのだが、その間のエリアが全部きれいに消え去った、ということだ。横浜でいうと、山下公園からJR京浜東北線の石川町・関内駅くらいまで中華街や横浜スタジアム含めて全部なくなったくらい、というと一部の人には伝わるだろうか。
もちろん、震災直後はがれきの山だったのだろうが、がれき撤去だけは5年の間に完了したのだろう。だがその後の建設は始まっていない。それで今はこのような、何もない更地が延々と広がっている、という状況になっていると思われる。
論理的に考えてそれしかない、という結論にはなったものの、これはなかなか衝撃的だった。街ひとつ丸ごと消えるなんてありえるのか?陸前高田の他に気仙沼と石巻も見てきたのだが、どちらも地震の傷跡こそ残っているものの、街の造り自体は震災前と変わっていない。駅も港も市役所も、地図通りの場所にあるのだ。それに比べ、陸前高田はまさに異次元だった。地図がまるで役に立たない。
街ごと流されたのなら、さぞ被害も大きかったのだろう、と思って後から調べたところ、陸前高田市は当時の人口24,000人に対して1,800人が亡くなったそうである。比率としては、40人のクラスのうち3人が亡くなった計算になる。Anotherの3年3組の半分くらいだろうか。いやはやなんとも。
また、これも後で調べてわかったことだが、この写真の土を盛っているのは、街を作り直す前に、また津波が来ても大丈夫なよう、土で「かさ上げ」し、その上に街を作る計画なのだそう。…って、今このとおり何もないまっさらな土地に、また街ができるのだろうか?この様子だと、電気ガス水道等のインフラは全滅で、一から引き直す必要があるだろう。それほんとにやるの?と思ってしまう。
…というような何とも凄まじい状態だったのだが、陸前高田がこのような状況にあるということを私は全く知らなかった。意識高い人々には当然の知識なんですか?いちおう震災後(14年)に発行された旅行ガイドブックを買っていったのだが、その本には残念ながら陸前高田の項はなかった。観光ポイントではないってことか。ちなみにグーグルマップで今(2016/4)見るとこんな感じで、
いちおう旧市役所には「旧」とついているものの、旧市街はほとんど震災前のままに見える。しかし実態は、この辺の店とかは今はなーんにも存在しないのである。
ふだんもずっとああなのか、たまたま私が行ったときに工事が休みだったのか知らないが、とにかく人が誰もいない、建物もない、土だけが盛られた風景がずっと続いている、というのはかなりシュールというかある種幻想的であった。また不謹慎と言われそうだが、あれだけの光景はなかなか見られないと思う。よくSF映画などで、核戦争とかそういうので人類がほぼ滅亡し、一人生き残った主人公が廃墟に立ち尽くす、みたいな場面があるが、あんなイメージ。オリジナルの「猿の惑星」のラストみたいな。
国内で比較的これに近いイメージの場所というと、おそらく鳥取砂丘ではないだろうか。といっても私は鳥取砂丘に実際に行ったことはなくて、「こんとあき」で読んだくらいなんだけれども。グーグルマップで見たところ、面積的にも鳥取砂丘と流された旧陸前高田市街は同じくらいのようだ。行ったことある人は鳥取砂丘を思い浮かべるといいのかもしれない。
実際、今の陸前高田の景観は、鳥取砂丘と同じかそれ以上の観光的価値があるんじゃないかと思う。しかしながら前述の通り旅行ガイドにもスルーされており、私もたまたま酔狂で寄ってみたから偶然目にしただけで、多くの旅行者は存在にすら気づかないだろう。これはちょっともったいない気がする。
今の陸前高田はご覧の通り何もないが、たぶん数か月のうちには復興と称して建設が始まるのだろう。見に行くなら、何もない今のうちがオススメ。「被災地にそんな物見遊山気分で行っていいのか?」などと思う人もいるかもしれないが、現地の人たちも(おそらく)変に遠慮して避けられるよりは、来てもらって多少でもお金落としてってくれた方がいいのではないだろうか。野次馬根性な皆さんは今すぐ陸前高田へGO!である。
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コメント
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人間というのは移動できるから。
仕事も家もなくなったら、ゼロリセットでまっさらな立場でベストな選択をするのです。文字通り、サンクコストなんて考えない。で、仙台に引っ越した残りがその町。
陸前高田はまだ復興プランがあるけど(実行しないほうがいいと思うけど)、集落ごと移転して人がいなくなった場所もたくさんありますよ。
投稿: 集約しましょ | 2016年5月29日 (日) 13時52分
> たぶん数か月のうちには復興と称して建設が始まるのだろう。
ではなくて、復興計画と工事はずっと数年の間動き続けていて、今こういう状況です。
つまり、数年間ずっと工事と建設が続いていて今こうで、今は高台を作っている段階ということになります。
投稿: 宮嶋陽人 | 2016年6月 3日 (金) 06時12分
伊藤さん、今日の棋聖戦の終局後のインタビューで、羽生棋聖が「つまらない将棋」といいましたよ!!
ttp://kifulog.shogi.or.jp/kisei/
―――今日を振り返っていかがでしたか。
羽生「飛車を圧迫されてつまらない将棋になりました」
投稿: SAITO | 2016年7月 2日 (土) 21時37分
セドルが「つまらない囲碁にしてしまった」と言うかどうかはわからないけど、言ったとしても特に違和感ないな。
でも、ハサビスは「つまらない囲碁にしてしまった」なんてセドルの前では言わないでしょう。もし言ったら違和感ある。
この違いかなあ。
投稿: あ | 2016年7月 6日 (水) 12時14分