Money Changes Everything
今回は、開発者に対する報酬の話を書きます。
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今回は、開発者に対する報酬の話を書きます。
先日の電王戦ファイナル最終局では、プロ側がハメ手に誘導してソフト側が21手で投了、というまさかの結末でした。イベントとしてはなんともお粗末な結果です。こうなった最大の原因は「事前貸し出し、ソフトは修正禁止」という対局ルールにあったと言ってよいでしょう。
では、電王戦のルールは一体どうやって決めている/いたのか?どう決める「べき」なのか?以前の記事で、第1回の時のルール決定プロセスについて書きました。今回は、裁判の話はいったん置いて、第2回のルール検討の様子を書いてみます。
マイナビ社については今まであまり話に出てきていませんでしたが、電王戦絡みで、そう多くはないものの多少の接触はあり ました。それを通して、実は裁判以前から、連盟のように他人を中傷したりするのとはちょっと違うのですが、別の意味でやはり信頼できない相手というイメー ジがあり、それが今回のマイナビとの折衝でも影響しています。ですので、裁判自体の話とはややそれるのですが、今回はそうした裁判以前のマイナビとのやり とりについて書きます。
1月14日の対局の後、3週間ほどはマスコミ取材が殺到しまして、ほぼ毎日なにかしら新聞やら雑誌やらの取材があるという状況で、対応でてんてこまい(死語?)でした。2月の中旬くらいからやっと落ち着いてきました。5月のWCSC向けに12年 版Puella αの開発はあったのですが、それは毎年のことで慣れています。前年の9月に電王戦の話が来たときからずっとかなり忙しい状態が続いていたので、しばらくぶりに物事を考える余裕が出てきました。
対局中のことは、ニコ生で見えた分については詳細省略。見えなかった部分だけ少し書いておきましょう。
対局は1/14で、前日にはセットアップしておく必要があったのですが、1/13は順位戦があったため、「セットアップは深夜1時頃からでないとできない」と事前に言われていました。F社のメンバー5名程は深夜0時に将棋会館に集合し、地下の会議室で待機します。
年が明けて、対米長戦も目前となった12年1月5日、第2回電王戦について連盟から発表がありました。
11月後半から12月に入ると、1/14の対局に向けてかなり具体的な準備をいろいろしていました。
11月7日に将棋倶楽部24の大阪道場に参戦し、11月10日に安定したと判断して東京道場に移りました。その後、翌12 年の1/12まで2か月間、約2,000局対局しました。当時のことを覚えている方も多いと思いますが、とにかくあらゆる意味で予想を越えるすさまじい効 果がありました。
データ採取の実験の立ち上げと第1回電王戦のどたばたが一段落した10月はじめ頃から、将棋倶楽部24への自動参戦の検討を始めました。
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